World Natural Heritage in Japan 日本の世界自然遺産

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奄美・沖縄

自然をまとう南島の織物 奄美の大島紬と沖縄の芭蕉布

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日本の国土面積の0.5%に満たないにも関わらず、極めて多様な生物種が生息する世界自然遺産「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」。希少な固有種、絶滅危惧種が数多く分布する、世界の生物多様性の保全にとってとても重要なエリアです。この一帯は、かつてユーラシア大陸の一部だった地域が鎖状に分裂して形成された小さな島々で、長い年月をかけてユニークで豊かな生物相が独自の進化を遂げたと言われています。人間の暮らしも、際立った個性を放つ自然に大きく影響を受けました。信仰、音楽、食、そして服飾など、緑深い風景の中で生まれた文化が、現在も受け継がれています。

自然と寄り添い、その恵みを受け取る

手付かずの美しい自然が広がる奄美と沖縄は、生物多様性の宝庫。写真は、奄美群島の加計呂麻島。

九州の南端から台湾の北東端にかけて弧のように連なる島々は、そのほとんどが温帯と熱帯の中間にあたる亜熱帯に属しており、双方の生態系が緻密に重なり合った、力強い自然を生み出しています。

この地域ではユーラシア大陸と海洋アジアの双方から影響を受けた、日本列島とは異なる文化が古代より受け継がれてきました。ひとつの象徴は、琉球王国です。15世紀から19世紀にかけて中国、日本、朝鮮半島、東南アジアとの外交や貿易を通じて発展した海洋国家であり、最盛期には奄美大島から八重山諸島を勢力下に置きました。その版図には、世界自然遺産である奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島も含まれていました。

力強く根を張るやんばるのガジュマル。亜熱帯気候特有の植物が多数見られる。

サンゴ礁に囲まれた美しい海岸線、そして内陸に広がる密度の濃い森林。そうした南国特有の風土の中で、人間は慎ましく、したたかに暮らしてきました。自然と寄り添い、その恵みを受け取る、数々の文化が存在します。中でも際立ってユニークなのは、織物という文化です。

奄美大島を代表する祝祭のひとつで、秋名という集落で秋に執り行われる「平瀬マンカイ」という豊年祭。大島紬を着用して神様に祈りを捧げる。
芭蕉布を生産する喜如嘉集落の風景。

大宜味村・喜如嘉の芭蕉布

伝統織物・芭蕉布は、袖を通すと涼しさが感じられ、暑い夏の沖縄に適した着物として重宝された。

沖縄にはいくつもの織物があります。主に絹糸を利用した「琉球絣(かすり)」、苧麻(ちょま)という麻の繊維でつくられる糸を使った「宮古上布」、アフガニスタンが起源ではないかと言われる「八重山ミンサー」など、その多様さには目を見張るものがあります。

その中のひとつに、「喜如嘉の芭蕉布」があります。バナナの仲間である糸芭蕉を畑で育て、収穫、糸づくり、染色、そして織り上げるまでの全工程を手仕事で行う織物です。工業化の進んだ現代では考えられないほど、気の遠くなるような時間を経て完成する、貴重な布です。

人の背丈よりも大きく成長する糸芭蕉。2〜3年かけて育て、収穫する。

ほのかに土の香りを感じさせるベージュ色の着物は、戦前まで庶民が愛用する普段着でもありました。生地は薄くて張りがあり、着てみると柔らかく、体にまとわりつかない。その質の高さは王族が身につけたことからも、中国や江戸幕府との交易品として重宝されたことからも見て取れます。

「大宜味村立芭蕉布会館」は、喜如嘉の芭蕉布の伝統を守り育成する役割を担う。
かつては沖縄島で広く生産されていた芭蕉布の伝統は、現在は大宜味村喜如嘉で受け継がれている。
喜如嘉の芭蕉布は、昭和49年(1974年)に国指定の重要無形文化財の総合指定を受けた。

復興を遂げた織物文化

喜如嘉の糸芭蕉の畑。昔と変わらない有機栽培が行われている。

かつて沖縄各地でつくられていたという芭蕉布は、第二次世界大戦によって途絶えかけていました。大切な島の文化を復興させる立役者となったのは、大宜味村の喜如嘉という集落に生まれた平良敏子さん(故人)でした。女子挺身隊に参加して岡山で終戦を迎えた平良さんは、思想家・柳宗悦の民藝運動に関わる方たちの支援と励ましもあり、戦争で疲弊した故郷に戻ったあと、伝統的織物の復興のために奔走しました。

糸芭蕉の茎の断面。外側、中程、芯に近い部分で硬さの異なる繊維を着物や小物などに使い分け、余すところなく利用する。

現在、喜如嘉集落内には約720坪の糸芭蕉畑が広がり、保存会や事業組合が中心となって、芭蕉布をつくりながら後継者を育成しています。芭蕉布に携わる人びとの拠点となる「大宜味村立芭蕉布会館」では、作業工程の見学や、苧剥ぎ (うーはぎ)、苧績み (うーうみ)、羽織などが体験できます(要予約・有料)。

「糸芭蕉を育て、繊維を取り出し、糸をつくり、撚(よ)りを掛け、絣(かすり)を結び、糸を染め、図柄を決め、織り上げる。機械は一切使いませんし、材料はすべて沖縄の自然から採取します。大変な手間と根気を要しますが、何百年も前から守られてきた、私たちの大切な文化なのです」(喜如嘉芭蕉布事業協同組合)

「大宜味村立芭蕉布会館」の工房では、職人たちの作業の見学も可能。
「苧(うー)」と呼ばれる芭蕉布の繊維を、木灰汁で煮るための大釜。「苧炊き」は長年の経験が物をいう、とても高度な仕事。
糸芭蕉から採り出す糸。大変繊細で扱いが難しい。

奈良時代から存在するという大島紬

奄美に関連するさまざまなモチーフが取り入れられている大島紬。

奄美大島にも、日本を代表する織物があります。フランスのゴブラン織りやイランのペルシア絨毯と並び、世界三大織物に数えられる大島紬です。文献がほとんど残されていないため、歴史は明らかにされていません。しかし、東大寺・正倉院に現存する奈良時代の献物帳に「南島から褐色紬が献上された」と記されていることから、約1300年前にはすでに原型が存在したと推測され、今日まで島の人びとによって受け継がれてきました。

大島紬は軽くて暖かい、着崩れしにくい、濡れても縮まない、手入れが楽などの特徴がある。

「絹織物の代名詞にして、おしゃれ着の最高峰。男女問わず、『いつかは袖を通してみたい』と昔の人は大島紬に憧れたそうです」
そう語るのは、南祐和(みなみ・ひろかず)さん。奄美大島で紡がれてきた織物文化に関する資料を収集しながら、来館者に着付けや、はた織り体験プログラムを提供する「夢おりの郷」を運営しています。図案、染色、織りなど、30を超える工程がすべて分業で行われる大島紬の製作過程を一堂に集めた、貴重な博物館です。

大島紬の伝統を継承する施設であり、同時にさまざまな体験や見学ができる「夢おりの郷」は観光スポットとしても人気が高い。
現在は製作者が途絶えた織り機はリュウキュウマツからつくられていた。自分たちで修理しながら大切に稼働させている。

紬という生地、絣という模様

先染めした経糸と緯糸を合わせて、図案どおりの模様になるように織り上げる「製織」の工程。柄によっては1日に数センチしか織れないという。

かつて奄美群島では養蚕が盛んに行われ、手で紡いだ絹糸で紬をつくっていました。江戸時代に薩摩藩への献上品となるまで、島の人びとの普段着だったといいます。
その多彩な文様は、絣という技法によって生み出されました。前もって染めた経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を合わせて絵柄を表現する、非常に高度な技法です。大島紬は、はじめに仮織りしてから染めた絣ムシロという織物を解体して糸に戻し、図案どおりに並べて、再び織り上げて完成させます。もちろん機械には頼らず、すべてが手作業。一反の織物が完成するまで1年あまりを要するという過程を経ることで、他の織物の追随を許さない、緻密な絵柄が誕生するのです。

草花をモチーフにした絵柄のデザイン画。かつては方眼紙を使って図柄を起こしていた。

古代の象形文字を思わせる多種多様な模様について、南さんが興味深いことを教えてくれました。
「大島紬の文様は、島の豊かな生態系を表しています。サンゴ、ソテツ、ハイビスカス、ハブといった南国的なモチーフをはじめとして、星、魚の目、ウニ、竹で編んだザルといったものまで、島の先人たちは、身近にある自然を好んで図柄にしました」

また、泥染めと呼ばれる伝統的な色技術も、大島紬特有のものです。奄美大島には、かつてユーラシア大陸から分離した時代と推測される地層が露出しています。鉄分をはじめとするさまざまな鉱物が凝縮されており、亜熱帯気候の密林に自生するシャリンバイ(テーチ木)に含まれた強烈なタンニンと化学反応を起こすことで、美しい漆黒色に絣ムシロが染め上がります。

鉄分などを多く含んだ奄美大島の土壌でしか行えない、泥染めの工程。
シャリンバイと泥によって染まった独特の風合いが、織物の色に深みを与える。
繊細な技術が詰まった大島紬は、着物好きの間で憧れの着物といわれることも多い。

南島の織物が意味するもの

奄美大島の森林に自生するヒカゲヘゴは古代を思わせる茎や葉が特徴的。

南さんは奄美大島特有の文化について、こう表現しました。
「大島紬ほど自然を利用させてもらう織物はないと思います。シャリンバイを収穫しに山に入り、野原の泥で織物を染める。サンゴの死骸を砕いた粉で染料を中和させ、海藻を炊いて糊にする。化学技術に頼らないから、公害も出しません。また、活用しているのは、島の生態系だけではありません。絣締(かすりじめ)や泥染めといった力仕事は男性が請け負い、女性たちは絹糸を分けたり生地を織り上げたりする役割を担います。島に存在するすべての生命体が関わる文化なのです」

芭蕉布と大島紬に実際に触れてみると、やんばるや奄美の風土をはっきりと感じ取ることができるはずです。青白い入江に打ち寄せる波音や、糸芭蕉が風に揺れる音、無数の生命体が奏でる森のアンサンブルといった情景が、素朴で美しい織物から浮かび上がるでしょう。

チップ状に砕いたシャリンバイを煮出して色素を抽出する。この染液で染めたものは赤褐色になる。
奄美大島の中部、住用町に広がるマングローブの森。周囲はアマミノクロウサギの生息地でもある。

取材協力

大宜味村立 芭蕉布会館

住所
沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉454
電話番号
0980-44-3033
URL
https://bashofu.jp/

国指定需要無形文化財に指定されている「喜如嘉の芭蕉布」に関する施設で、芭蕉布伝統工芸従事者の研修や製品の展示などを行う。職人たちの作業を近くで見学することもできる。

夢おりの郷

住所
鹿児島県大島郡龍郷町大勝3213-1
電話番号
0997-62-3888
URL
https://www.yumeorinosato.com/

養蚕から図案、締め、染め、加工、織りまで一貫して製作する大島紬織元。工房の見学はもちろんのこと、着付けや、機織り、泥染など、大島紬に関するさまざまな体験プログラムを実施している。

関連スポット

喜如嘉の七滝

住所
沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉2234
電話番号
-
URL
-

集落の奥に佇む、神秘的な滝。亜熱帯の植物が生い茂る岩盤を、七度も流れを変えながら流れ落ちることからその名が付きました。喜如嘉を守る滝と言われ、集落の人びとの大切な祈りの場でもあります。訪問の際は、地域の習慣やルールを守りましょう。

大石林山

住所
沖縄県国頭郡国頭村宜名真1241
電話番号
0980-41-8117
URL
https://www.sekirinzan.com/

島建ての神「アマミキヨ」が降り立ったといわれる、国頭村にある聖地です。古生代の石灰岩が雨水などで侵食してできた、世界最北の熱帯カルスト地形とされ、地球の雄大さを感じることのできる貴重なスポット。ヤンバルクイナをはじめとする希少種の宝庫でもあります。

鶏飯元祖 みなとや

住所
鹿児島県奄美市笠利町大字外金久81
電話番号
0997-63-0023
URL
https://minatoya.amamin.jp/

奄美大島の郷土料理といえば、ご飯に具材を乗せ、鶏ガラスープをかけていただく「鶏飯」です。昭和21年創業の「みなとや」は鶏飯の発祥として知られ、かつて上皇皇后両陛下がご来島された折に、同店の鶏飯をお召し上がりになり、「おいしい、もう一膳」とおかわりをされた逸話が残されています。

崎原(さきばる)ビーチ

住所
鹿児島県奄美市笠利町大字喜瀬3622
電話番号
-
URL
-

奄美大島で屈指の美しさを誇るビーチ。周囲には離岸堤や堤防がなく、海の透明度は特筆すべきものがあります。糸芭蕉、ソテツ、アダン、月頭(げっとう)などが自生する、海岸に向かう道すがらも奄美らしい自然風景がつづきます。

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