ルディ・スフォルツァ
東京都出身。父がイタリア人、母が日本人。2012年に小笠原諸島・父島に移り、2024年まで暮らす。2016年よりフリーペーパー『ORB』を発行。翻訳業を営みながら、島の文化や歴史を独自の視点で発信。大正時代に来島したチェコの画家、フィアラの展覧会を企画するなど、島を離れた現在も小笠原諸島のアート文化の発掘・紹介に取り組む。
島民が教える“心地いい島時間”の過ごし方
「都会から離れて、違う生活をしてみたい」――ルディさんが初めて小笠原諸島を訪れたのは、そんな漠然とした思いを抱いていた20代半ばのこと。
「小笠原諸島は、おがさわら丸という船に乗って24時間かけてようやく辿り着きます。一晩を船内で過ごし、目が覚めたら驚くようなブルーの海が広がり、やがて遠くに緑の島が見えてくるんです。美しい大自然をゆく冒険にずっとワクワクしっぱなし。ものすごい衝撃でした。この強烈な体験を忘れられなくなり、妻と移住を決めたんです」
イタリア人の父と日本人の母を持つルディさんは、島内の異国情緒ある雰囲気にも魅了されたと言います。
「島の人と話すと、どこか自分と近いような親近感がありました。かつて小笠原はアメリカ領だった時期もあることから、島内にはさまざまなルーツをもつ人たちが暮らしています。こうした多文化的なところも小笠原に惹かれた理由の一つだと思います」
イルカと泳いだり、美しい無人島に上陸したり、いろんなアクティビティを満喫してほしいと前置きしたうえで、ルディさんがすすめるのは「あまり予定を詰めこみすぎないこと」。
「滞在中は、余白の時間を多めにとるのが島をじっくり味わうコツ。ただ砂浜に座ってボーッとしたり、島の人たちと一緒に夕陽を眺めたりして、何も考えずに過ごす時間を作ってみると、いろんなイマジネーションがわいてくる。小笠原ならではの魅力をきっと見つけてもらえると思います」
島の過去を受け継ぐフリーマガジン
「移住して最初の3年間は、島での暮らしの基盤を作りたかった。そして、続く3年間では島の中で自分ができることを見つけたいと思っていた」と語るルディさん。
もともとクリエイティブなものが好きで、島内で創作活動を始めたかったと言います。何がしたいのかを自分に問いながら探し続け、やがて待望の瞬間がやってきました。
「仲良くさせてもらっているお店のマスターから『そういえば昔、作ってたんだよ』と、40年前の小笠原のローカル紙を見せてもらったんです。見た瞬間、『ああ、これだ!』と思いました。これを新しいかたちで復活させたいと思って、フリーペーパーの『ORB』を創刊したんです」

それが2016年のこと。第8号までを世に送り出し、現在も島内のカフェやショップで手に取ることができます。
ちなみに、「ORB」とは英語で“球体”のこと。「“眼球”もオーブの一つ」だとして「島民の目で見つめて、島の本質を映したい」という意味を込めたそう。その名の通り、内容は単なる観光情報ではなく、国際的な視点から島の文化や歴史を丁寧に取材し、深く紹介しているのが特徴です。記事には英訳も併記。最初に定住した人びとの子孫にあたる島民によって英語は戦前や戦後にも日常的に使われており、それもまた小笠原の言葉であるという意味を込めたそうです。
しかし、スタート当時、ルディさんの編集経験はゼロ。試行錯誤を繰り返し、お気に入りの音楽フリーペーパー『DEAL』をお手本に、手探りで進んだといいます。
でも、デジタルマガジンが主流になりつつある今、なぜ紙媒体で発行を? そう訊ねると、こんな答えが返ってきました。
「もちろんデジタルはとても便利で、今の時代に適していると思います。でも、紙には紙の良さがあるとも感じるんです。たとえば、マスターが昔作ったフリーペーパーが、40年を経てもまだ形として残っていたこと。そして、僕がそれを見せてもらって感動したこと。『ORB』もいつか何十年後に誰かの目にとまって、『昔こういうものがあったんだ!』と思ってもらえたらいいな、と思ったんです」
100年前の芸術家をも魅了した小笠原
「島の中で一番興味を惹かれたのは、文化のことだった」というルディさん。文化を知るうえで、歴史は避けて通れません。『ORB』を作るにあたり、もとはどんな島で、どうやって今に至るのか、島の過去を調べ始めたと言います。

「その最中、大正時代に海外からアーティストたちが数多く来島していたことを知りました。実は、戦争に向かっていた大正期、小笠原の地形や風景を表すような写真や絵は軍に押収されてしまい、あまり情報が残っていません。でも、そんな時期の小笠原を描き残していたのが、チェコ人画家ヴァーツラフ・フィアラだったんです」
ルディさんは、2021年と2023年の2度にわたってフィアラの展覧会を島内で開催しました。

「島の人の反応が良くてうれしかったですね。フィアラのことを知らない人は多くて、100年前の自然の景色が今と同じであることに驚いてもらえたようです」
建物や道具などは時とともに変わったように見えますが、実はよく目を凝らすと、普段の暮らしのなかにも当時の面影が見えることがある、とルディさんは言います。
「でも、それは知らないと見落としてしまうくらい、ささやかな面影です。だから、普段から想像力を働かせながら物を見るようになりましたね」
最後に、未来のことを語ってくれました。
「実は、フィアラ以外にもすばらしい画家たちが小笠原の絵を描いているんです。小笠原が海外のアーティストたちにも愛されていたことを、もっとみんなに知ってもらえたら。アートの切り口からも、島の魅力を伝えるような展示を広い地域で開催するのが夢です」
島内に向けて、日本に向けて、果ては世界に向けて、小笠原のディープな魅力を発信し続けているルディさん。彼のまなざしを通して見る島は、豊かな自然と文化、そしてユニークな歴史を秘める稀有な地として、いきいきと輝いています。
ルディさんが選ぶ、小笠原をより深く知るための3タイトル

『ジャック・ロンドン 多人種もの傑作短篇選』
多人種問題についての深層心理がまとめられた、8篇からなる一冊。「Bonin Islands」では1893年、小笠原・父島にアザラシ狩り船員として来島した話が記されている。「彼自身が訪れた時の体験をもとに書かれていて、かつての小笠原がどういう場所であったかというイメージが膨らむ作品です」
『寫眞帳 小笠原 発見から戦前まで』(倉田洋二・編)
小笠原諸島が発見されてから戦争突入に至るまでの島の記録をモノクロ写真でつづる写真集。当時の島民の生活風景を活写した、歴史的価値の高い写真が数多く収録されている。「普通の本屋さんでは見つけにくいですが、おがさわら丸の船内売店で購入できます。船の中で読む予習として最適です」
映画『Born in Surf』(マシュー・クレム/宮川奈美・監督)
世代の異なる7人のローカルサーファーの経験と視点から、島文化とサーフィンの歴史を紹介するドキュメンタリー映画。「出てくる人たちも非常に個性的で、島に長く住んでいる人たちばかり。とても貴重な声が聞けるほか、紺碧のボニンブルーが輝く海や浜など美しい景色も見どころです」
※この記事は2025年10月制作のものです。
関連スポット

小港海岸
- 住所
- 東京都小笠原村父島北袋沢
- 電話番号
- -
- URL
- https://www.gotokyo.org/jp/spot/247/index.html
父島で最大のビーチで、約300mにわたって広がる白い砂浜が特徴。ウミガメの産卵地としても有名。「市街地からやや離れているため、人が少なくプライベートビーチのような趣があります。遠浅の海は波が穏やかで、夕日を見るのにも最適なスポットです」

洲崎海岸
- 住所
- 東京都小笠原村父島洲崎
- 電話番号
- -
- URL
- -
町から車で15分ほどの距離にあり、磯釣りなどで人気の海岸。太平洋戦争中には飛行場として使われていた過去も。「石がゴロゴロしていて泳いだりするのには不向きなのですが、ここは絶景の夕日スポット。島民もよく夕日を見に行く場所です」