小笠原の南洋踊り、ルーツは遥か南の島
誕生以来、一度も陸と地つづきになったことがない絶海の孤島、小笠原。独自の進化を遂げた固有種や希少種が息づく島々は、その独特な進化の過程を示す生態系に大きな価値があると評され、2011年に世界自然遺産となりました。
島に暮らすあらゆる生き物たちは、はるばる旅をしてこの島に辿り着いたものばかり。同じように、海の向こうから伝わってきた踊りがあります。
「『南洋踊り』ですね。もとは戦前、日本がサイパンやパラオといった南洋諸島を統治していた時代に、サイパンに仕事で訪れた人が南洋諸島の踊りや歌を覚えて小笠原に持ち帰ったのがはじまりといわれています」
こう話すのは、小笠原村の村長・渋谷正昭さんです。
南洋踊りは第二次世界大戦後、小笠原がアメリカ領となったとき、一時は途絶えたかのように見えました。が、実は本土に強制疎開させられ帰島できなかった島民が踊りを覚えていて、1968年に島が日本に返還されたのちに島内で復活。現在は、東京都指定無形民俗文化財に指定されています。
大自然に映えるユニークなダンス
「一曲、踊ってみましょうか」
小笠原に移住してすぐに南洋踊りを覚え、以来40年にわたって踊り唄ってきたという渋谷さん。笑顔で立ち上がり、その場で『ウラメ』と呼ばれる曲を披露してくれました。これは5曲からなる南洋踊りの1曲目の演目です。
レフト、ライト、レフト、ライト……というなぜか英語のかけ声で左右に足踏みをします。唄われたウラメは、日本語の歌詞ではありません。
「これは伝わった当時のままの南洋諸島の言葉で、意味不明で歌っています。でも、2曲目の『夜明け前』は日本語なんですよ。当時の南洋諸島で日本語教育が行われていた名残ですね」(渋谷さん)
異国情緒のなかにも和風の踊りの気配が漂う不思議なダンス。振りつけを教えてもらうと、その場にいた6人が10分ほどで踊りをマスター。みんなで一斉に踊ると、とたんににぎやかなお祭りムードに包まれます。
「南洋踊りはもはや私の体の一部。小学校の運動会では子どもたちが全員で踊るんですよ。新しく島に来た人にはお年寄りが教えたり、踊れるようになった小学生が下の子に教えたりして、みんなで受け継いできました」
踊るときは、ハイビスカスの花やヤシの葉など、島の自然にまつわるものを髪に飾るのが伝統。生い茂る緑の木々を背にして、海岸で踊るのは最高に気持ちいい、と渋谷さん。「島の自然によく映えるダンスだと感じますね」
カカに島唄にフラ。島で愛される音楽&舞踊
トッカンコン・カカ・トッカンコン・カカ……。南洋踊りのリズムは、聞いているとクセになります。拍を刻むのはカカと呼ばれる楽器。叩くとカッカッと聞こえるからこの名前がつきました。
「島に生えているタマナの木の内部をくりぬき、外から叩いて響かせています。もとは南洋の島々が、まるでモールス信号のように音によって島同士の交信を行なっており、その楽器が島に伝わりました。満月の日にみんなで集まって、カカを叩いて楽しんでいたこともあるんですよ」
ほかにも、小笠原にはさまざまな音楽が溢れています。たとえば、小笠原古謡(こよう)とも呼ばれる島唄の数々。なかでも『レモン林』という曲は有名で、防災行政無線で流れる17時のチャイムの音にもなっています。だから、島を旅すればきっとどこかで耳にするはず。覚えて帰ればどこにいてもなつかしい島の光景を思い出せる気がします。
また、同じ島の心が通じ合うのでしょうか、ハワイからやって来たフラダンスも島内で人気なんだとか。
「ハワイにゆかりのある人が島内に持ち込んで以来、踊る人が増えました。ドラム缶で作られたスティールパンという楽器もあるし、流行りのダンスを踊る若い子たちも多いんです。島民はダンスや音楽が好きな人が多いですね。酒盛りをしていると盛り上がって、みんなで歌ったり踊ったりもしばしばです」
「行ってらっしゃい!」 島の見送り太鼓
一年を通して温かく、お正月が海びらきの小笠原。冬でも春のような気候で、とくに親子で寄り添ってザトウクジラが泳ぐ光景は春の風物詩となっています。陸に目を転じると、春は出会いと別れのシーズン。
「でも小笠原の場合は、春に限らずいつも“出会いと別れ”が身近にあります」と渋谷さん。小笠原までは、東京・竹芝から週に1便の定期船「おがさわら丸」が就航しており、片道24時間かけて行き来しています。旅人の多くは4日間を島で過ごして、5日目に船に乗り、6日目に東京・竹芝へ帰っていくのです。
「島はまるで呼吸するようにたくさんの人を迎え入れ、同じ時を過ごし、次の週には再び送り出します。『おがさわら丸』が出航する日にはたくさんの島人が港に集まり、旅人の無事を祈って見送るのが恒例です」
別れのとき、波止場では大きな太鼓が力強く打ち鳴らされます。この太鼓は小笠原太鼓といい、明治時代に八丈島から小笠原に移り住んだ人びとが故郷を偲んで叩きはじめたのが始まりなのだとか。全国でも珍しい両面打ちの太鼓です。
勇ましい響きに見送られながら客船が動き出すと、多くの船が伴走して別れを惜しみます。島人が大きく手を振り、最後は次々と海に向かって華やかにダイブ!
「いつだってお別れはさびしいもの。だからこそ明るく盛大に、というのが島の流儀です。また来てね、という願いをこめて、お別れの言葉はいつでも『行ってらっしゃい』なのです」
何度でも「ただいま」を言いたくなる、あたたかい島。南洋踊りやカカの演奏が行われるのは1月の海びらきや6月の返還祭などの限られた機会ですが、そこはいろいろな音楽が息づく島のこと。いつでもあちこちで、小笠原らしいメロディやリズムに出会えるはずです。島の人から教えてもらえたら、とってもラッキーですよ。
取材協力
渋谷正昭さん
- 住所
- -
- 電話番号
- -
- URL
- -
南洋踊り保存会の会長であり、2021年から小笠原村村長を務める。
関連スポット
日本一早い!海びらき
- 住所
- -
- 電話番号
- -
- URL
- https://www.ogasawaramura.com/8258/
“日本一早い”といわれる小笠原の海びらきは1月1日。元旦に開催される恒例行事です。2024年は海びらきの神事や招福餅まき、初泳ぎ証明書の発行などが行われ、南洋踊りや小笠原フラが披露されたほか、カカや小笠原太鼓の演奏も。また、島ラムや郷土料理「ダンプレン」の屋台が出たり、アオウミガメの放流があったりと盛りだくさんににぎわいます。
返還祭
- 住所
- -
- 電話番号
- -
- URL
- https://www.visitogasawara.com/eventisland/
1968年6月26日に小笠原がアメリカから返還されたことを記念する祝祭で、毎年6月下旬に父島・母島で行われています。2024年は、父島では南洋踊りをはじめ、ダンスチーム7組がステージに登場。ほか、カカや和太鼓、ジャズ、スティールパンなどの演奏も行われました。母島は2日間行われ、盆踊りや花火、演芸大会、郷土芸能がお披露目されました。
サマーフェスティバル
- 住所
- -
- 電話番号
- -
- URL
- https://www.visitogasawara.com/eventisland/
毎年8月になると、小笠原は約3週間にわたって長いお祭りシーズンに突入。父島でも母島でも、さまざまなイベントが行われて盛り上がります。南洋踊りとカカの演奏を見られるチャンスもあります。