永沢 碧衣(ながさわ・あおい)
画家。1994年に秋田県横手市に生まれ、秋田を拠点に制作活動を続ける。マタギ文化に関わり、狩猟免許を取得して狩猟者としても活動中。人と自然の関係性を絵画で表現し、全国の美術展や芸術祭に出品。2023年にVOCA展大賞を受賞。
公式サイト:https://www.aoi-nagasawa.com/
Instagram:永沢 碧衣 (@nagasawaaoi)
X:永沢 碧衣 Aoi NAGASAWA (@DoorAoi)
“手付かずの自然”だけじゃない白神の魅力
「狩猟者になる前は、釣りに行ったり山菜を採りに行ったりしても、ずっとクマが怖かったんです。実際に姿を見たことはないけれど、出会っちゃったらどうしよう……って」
そう語る永沢さんの生まれは、秋田県横手市。県内から青い山脈として見える白神山地も身近な存在で、幼いころから自然に親しみながら暮らしてきたといいます。
「最初はざっくりと『魚が好き』『釣りが好き』というところから始まりました」という森への興味は、やがてさらなる深みへ向かいます。秋田県北部にある阿仁地域を訪れ、マタギと呼ばれる人たちに出会ったのです。
「この地の阿仁マタギたちが旅をして、各地に広く狩猟文化を広め、それが白神山地にも根付いたといわれます。白神山地はよく“手付かずの自然”と評されますが、人間が森に関わり、慈しみ、守ってきたからこそ今の姿があるともいえるんです」
広大なブナ林の中では、土砂崩れのように丸ごと地形が変わるほどの大変動がたびたび起き、それが多様性に満ちた命を育むきっかけになっているといいます。
「パッと見ただけではわからないのですが、長い目で見れば自然が自然のまま呼吸していて、膨大なエネルギーで引き起こされた命のサイクルがある。そこが白神山地の本来の姿であり、魅力的なところだと感じます」
山の命と向き合う制作活動
マタギとともに山に入ることが増えた永沢さんは、やがて自らも狩猟免許を取得。狩る者としてクマと対峙するようになったとき、感じたのは恐怖ではありませんでした。
「クマも、実は私たちと同じで、どうしても生きるためにはやむを得ないときにしか牙を剥きません。マタギの人びとは長年、そんなクマや野生動物と相対し、お互いに畏れと敬いを抱き、自然のルールを守りながら隣で暮らす共生の術を磨いてきたのだと実感しました」
ある日、クマの解体現場で永沢さんは忘れられない瞬間を目撃します。
「それは有害駆除として処理されたクマでした。私は手足を支える役だったんです。クマをしとめた後、体がくたりと力を失い、だんだん『もの』になっていくのがわかりました。解体の現場では、生き物の息が絶えるとき、サーッと空気の色が変わるんです」
永沢さんの代表作『山衣をほどく』は、この時のクマがモデルになりました。
「黒い毛皮の上には、森に寄り添った人里を描きました。当時、秋田では森林伐採の跡地から土砂崩れが起きていたんです。その大地の裂け目をクマの仕留め傷に重ねて描きました。もちろん、何もかも人間が悪いわけじゃない。でも、こうした災いが大地に傷をつけた結果なのだとしたら、その痛みを忘れちゃいけないと感じて筆をとりました」
黒々とした深い森、煙をくゆらせる民家、青い水をたたえたダム、土砂崩れ、そして息をひきとるクマの表情。圧倒的なスケールで見る者の胸に迫るこの作品は、2023年のVOCA展で大賞を受賞しました。
廃棄される毛皮を画材に変える挑戦
狩る者としてクマを見つめはじめた永沢さんは、やがて、現代の狩猟にひそむ深刻な問題に直面します。
「昔は、ふさふさとした冬毛のクマの毛皮に大きな需要がありました。でも近年は有害駆除として捕獲することが増え、スカスカの夏毛で傷も多く、毛皮としての需要を満たせません。やむを得ず処分してしまう地域が増えつつあり、どこの猟友会にとっても課題になっていました」
山の命を頂いたら丁寧に加工し、ひとかけらも余すことなく暮らしに使ってきたマタギたち。毛皮を捨てているという現実を前に、画家として何ができるのか――そう考えた永沢さんが辿り着いたのは「クマ膠(にかわ)」を作るという方法でした。
「日本画は通常、岩絵具を膠という定着剤で溶いて描きます。調べると、その膠をクマの毛皮から作れることがわかったんです。そこで、肉を分けた後の毛皮をいただき、試行錯誤しながら作り、実際に絵の中で使い始めました。クマでクマを描く、そうすることで命が残り続けるんじゃないかって」
さらに、クマの体から作られる画材は他にもあります。
「もともとプルシアンブルーという青色が好きで、よく使っていたんです。歴史を調べると、動物の血から合成された世界で初めての色だったことがわかりました。そこで、クマをはじめ、狩りなどで得た動物の血を使って自分でも作ってみたんです。でも、絵の具になったのは驚くほどわずかでした。使うときは、動物の瞳の中など、ここぞという描写の一部にそっと潜ませるようにしています」
巨木が倒れて始まる、新たな生命のサイクル
現在、永沢さんが取り組んでいるプロジェクトの舞台は、白神山地の中にある「岳岱(だけだい)」。400年以上を生きた白神最大のブナの巨木が、2022年に倒れたのです。
「でも、この倒木は終わりではなく、新たな始まりでした。倒れたからこそ光が届くようになり、今、この場所に新しい生態系が育まれつつあるんです」
そして、その場所に佇む苔むした石板にも心を打たれたといいます。
「今から半世紀前、ここでは製材会社によるブナの伐採や開発が行われる予定でした。でも、地元の人が保全運動を起こしたんです。そうして森を守ってきた歴史を伝える石碑なんです。これがあることで、誰かが森について考えたり、行動に移すためのきっかけになっている。こんな“方舟”のようなモノづくりって素敵だな、と思って」
ありのままの森を残そうとした人びとの思いが実を結び、やがて世界遺産に登録された白神山地。
「例えば100年後、地形が変わり、生態系も変わって、クマが増えたり減ったりいなくなってしまったりする森が広がっていたとしても、かつてここにはどんな思いがあって、どんな風に人と生き物が結びついてきたのかを、私も未来に伝えていけたら。そんな作品づくりを目指します」
400年の巨木が倒れ、新たな光が射し込む森。変化する自然を見つめ、そこに生きる人々の思いに触れながら、永沢さんは今日も筆をとります。
永沢さんが選ぶ、白神山地をより深く知るための3タイトル
『もののけ姫」(スタジオジブリ)
室町時代を背景に、自然と人間の戦いと共存を描いた宮﨑駿監督の代表的なアニメーション映画作品。「美術監督の男鹿和雄さんは秋田のご出身。登場する舞台は白神山地もモデルの一つだと言われています」
『もののけ姫』DVD、ブルーレイ発売中
発売元:ウォルト・ディズニー・ジャパン
発売・販売元:ハピネット・メディアマーケティング
価格:DVD5,170円(税込) ブルーレイ7,480円(税込)
『マタギ 矛盾なき労働と食文化』(田中康弘・著)
秋田県北秋田市阿仁地区のマタギたちの猟や生活風景を、15年以上にわたって撮影・記録した一冊。「学生の頃にたまたま見つけて、実際に現地を訪れました。私がマタギの生き方を知るきっかけになった本です」
『白神学〈第3巻〉白神山地のマタギ 奥目屋編』(根深 誠ほか・著)
実在する資料や民俗研究を元に、白神山地と接する奥目屋のマタギの実像に迫る本。「白神山地ならではの土地に根ざした山の神像や、世界遺産と呼ばれる前からつづく人びとの生活と自然との距離感や感性などを読み解くことができます。ユニークな価値観を知る手がかりにぴったりの一冊です」
※この記事は2025年12月制作のものです。
関連スポット
白神山地世界遺産センター 藤里館
- 住所
- 秋田県山本郡藤里町藤琴字里栗63
- 電話番号
- 0185-79-3005
- URL
- https://www.shirakami-fujisatokan.jp
「秋田県側から白神山地に入るなら必訪。地元のガイドさんとつながれて、動物・植物のことも詳しく学べます。宿泊もでき、近くには道の駅や温泉などもあって楽しいですよ」
アクアグリーンビレッジANMON
- 住所
- 青森県中津軽郡西目屋村川原平大川添417
- 電話番号
- 0172-85-3021
- URL
- https://www.anmon-shirakami.com/
「青森県側から白神山地を旅するならここがオススメ。歩きやすい散策道があって、1時間ほどでブナの森を見られます。有名な『暗門の滝』も近くて見どころの多いエリアです」
