厳しい冬を越すための、昔ながらの知恵
世界有数のブナ原生林が息づく白神山地は、標高1,000mを超える山々が連なっています。冬になると日本海側から吹き付ける冷たい風がこの山に大雪をもたらし、その積雪は3〜4mにもなってしまいます。そんな厳しい白神山地の自然とともに暮らしてきたこの地の人々は、冬を乗り越えるために独自の食文化を生み出してきました。
なかでも代表的なものが保存食。日本では各地で梅干しや漬物といった保存食の文化が残っていますが、白神山地の北側に位置する青森県津軽地方でも「梅干し」「梅漬け」が郷土食として根づいてきました。
酸味が非常に強く、真っ赤な「梅干し」は、伝統的な日本の米食文化とともに日本の人々に愛されてきました。
一般的に梅干しは、梅の実を1週間塩漬けにし、さらに赤しそとともに約2週間漬け込んでつくられます。しかし、津軽地方の「梅漬け」は、塩漬けした後、1〜2年の熟成期間を経て、梅の実から果肉だけを取り出します。さらにその果肉を赤しその葉で包み込み、数か月じっくりと寝かせるのです。
長期間の熟成によって、赤しその鮮やかな色が染み込んだ「梅漬け」は、濃厚な味と香りが特徴。100年以上前から「しそ巻梅漬け」を製造・販売している「カネシメいした」の石田暢子さんによれば、その作業には、多くの手間がかかっているそうです。
石田:しそ巻梅漬けをつくるにあたっては、一つひとつの梅から果実だけを取り出し、手作業でしそを巻いていきます。それは、とても手間がかかるやり方。それでもこのつくり方を変えないのは、後世に残していくべき食文化だと考えているからです。
ではいったいなぜ、このような手間のかかるつくり方が生まれたのでしょうか? そこには、この地方で生きる女性たちの功績がありました。
冬になると建物の1階部分が雪で埋まってしまうほどの豪雪地帯の津軽地方。いまでこそ除雪された道路を車で移動することができますが、かつて冬場は外出すらもままなりませんでした。
そこで、閉ざされた冬の手仕事として、津軽の女性たちは、この「しそ巻梅漬け」をつくってきたのです。
石田:一つひとつ丹念に種を取り出し、赤しその葉で包んでいくその過程には、津軽地方に生きてきた女性たちの忍耐強さが表れているように感じます。いまではその習慣も少なくなりつつありますが、数十年前は多くの家庭で、当たり前のようにしそ巻梅漬けをつくっていたんです。
また、石田さんが守り続けているのはつくり方だけではありません。その味つけもまた、昔のままを保っています。
近年、健康志向の高まりから、低い塩分濃度(8〜10%)の梅干しが好まれるようになりました。しかし、カネシメいしたでは、昔ながらの塩分濃度(14.1%)のしそ巻梅漬けを提供しています。
石田:いまの時代に合わせて減塩のしそ巻梅漬を提供しようと考えたこともあります。けれども、長年食べていただいているお客さまから「この味だけは変わらないでほしい」と言われ、変えるのをやめました。
保存料や添加物を使わずに、粗塩などを使った味つけも昔のまま。はじめて梅干しを食べられる外国の方などにはしょっぱくて驚かれるのですが、少量を刻んでご飯と一緒に食べてもらえば、抜群の相性の良さを実感してもらえるでしょう。
昔ながらの味付けで、いまも地元の女性たちの手によって巻かれているしそ巻梅漬け。その濃い味つけは、どこか、懐かしさを感じさせてくれます。疲労回復成分であるクエン酸も豊富に含まれており、白神山地のトレッキングの後にぴったりの逸品です。
白神山地の気候、歴史、文化が詰まった山菜料理
そして津軽地方にはもうひとつ、北の女性たちが生み出した郷土料理があります。「けの汁」と呼ばれるこの料理は、白神山地や津軽平野で穫れる大根、人参、ごぼうといった野菜や、ぜんまい、わらびといった山菜、さらに高野豆腐などがたっぷり煮込まれたお味噌汁。
この地域には、普段農家でせわしなく働いていた女性たちが、骨休めのために、毎年1月15日の小正月に里帰りをする風習がありました。この里帰りをする際に、家に残る家族のため、女性たちはけの汁を大量に料理をして、つくり置きをしていったのです。
津軽の郷土食を提供する料理店「津軽旨米屋(うまいや)」の料理長・佐々木優輔さんは、ここ津軽で生まれ育ち、子どもの頃からけの汁に親しんできました。
佐々木:私の家では、祖父母と暮らしていたために、幼い頃からけの汁をはじめとする郷土料理にも馴染みがありました。けの汁もつくっていたし、同じく津軽の郷土食であるサメ料理もよく食卓に並んでいました。
ただし、私はいま26歳なのですが、同世代の人でけの汁やサメを食べたことがないという同級生もいました。郷土食の文化伝承が薄れつつあるのは、とてもさみしいことだと思います。
郷土食には、その土地の気候、歴史、文化など、すべてが詰まっています。しそ巻梅漬けとともに、けの汁もしょっぱい味つけで提供される傾向にありますが、そこにも理由があると佐々木さん。
佐々木:津軽の人々は食物を塩蔵によって保存することで、長い冬を乗り切ってきました。北国の食事がしょっぱくなりやすいのはそのため。歴史のなかで、しょっぱい味つけの食文化が生み出されてきたんです。
農家の祝祭に饗されるだまこ鍋
一方、白神山地の南側・秋田県に目を移してみましょう。日本でも有数の米の生産地として知られる秋田県で食べられているのが「だまこ鍋」という郷土料理です。
「だまこ」とは、ご飯をつぶして団子状にしたもの。秋田県の郷土料理としては、杉の串につぶした米を巻き付け、焼き上げた「たんぽ」が有名ですが、だまこは、杉の串も使わずに丸めるだけ。より、素朴な方法で作られる郷土食です。
白神山地の麓・秋田県能代市で居酒屋「酒どこ べらぼう」を営む成田繁穂(しげお)さんは現在78歳。成田さんの家は、代々農家を営んできました。
成田:農機具の発達していない私の子どもの頃は、田植えや稲刈りは地域の人々が協力し合って行う共同作業でした。そこで、仕事が終わった後には、みんなで打ち上げをする。そのときに宴会料理としてよく食べられたのがだまこ(鍋)だったんです。
自分のところで穫れた米を使い、野山からいただいたせりやきのこを入れる。ネギも土地のものでした。また、昔の農家では、鶏を育てることが当たり前でした。脂がのった鶏肉をだまこ(鍋)のなかに入れると、上質で美味しい出汁が取れたんです。
また、米と並んで秋田の郷土食に欠かすことができない農作物が山菜です。特に、白神山地の豊かな自然は、上質な山菜を生み出してきました。白神山地の麓にある藤里町で食事処兼民宿「だまっこ屋」を営む村岡章子さんは、自ら山に入り、きのこやわらび、ぜんまいなどの山菜を収穫し、客に提供しています。
村岡:きのこのなかで特に人気があるのは、この地域で「サワモダシ」と呼ばれるきのこ。一般的にはナラタケとも呼ばれていますが、ぽりぽりという食感が特徴で、煮物にしても味噌汁にしてもおいしくいただけます。
いっぽう山菜では、春から初夏にかけて採れるわらびのほか、「ねまがり竹」という呼び名のたけのこも人気です。このたけのこは、昔からお祝い事があるときに、馬肉と一緒に煮込んで食べられていました。
白神の山菜は、種類が豊富だし、成長がよくて立派。ここで採れる山菜を一目見れば、白神がとても栄養豊かな山であることがわかるでしょう。
白神山地は、厳しい自然環境のために人の手が入らなかったからこそ、手つかずの自然が残され、多くの山の恵みが残されている。なかでも村岡さんは、白神の水の美しさこそがその恵みを育むもっとも重要な要素なのではないかと考えています。
村岡:白神の森が蓄えた水は、豊かな山菜を育て、イワナ、ヤマメ、アユなど清流にしか住めない川魚を育みます。
私は以前、都会に暮らしていたのですが、30年前、子どもを育てるために生まれ育った藤里町(白神山地の約4分の1を占める町)に戻ってきました。山に入って山菜を採り、川に入って魚を捕る。自然に囲まれながらのびのびと暮らしていると、その贅沢さに気づくことができます。
ただ、正しい知識を持たなければ危険を伴う山菜採りは、簡単にできることではなく、近年、山菜採りができる人が減ってしまっています。このまま山菜の知識が失われ、地域の食文化を絶やすことは避けたいですね。
厳しい自然と豊かな食材とによって生み出された白神の食文化。近年、白神周辺では過疎化が深刻な問題となっており、昔ながらの文化も薄れつつあります。白神の自然だけでなく、その周囲で人々が生み出した食文化が守られていくことを願ってやみません。
カネシメいした |
住所:青森県弘前市大字高屋安田138営業時間:月曜〜土曜 7:30〜19:00、日曜 8:00〜19:00定休日:なしURL:https://kaneshime-ishita.com/ |
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津軽旨米屋 |
住所:青森県弘前市大字亀甲町61営業時間:11:00〜15:00定休日:なしURL:http://neputamura.com/umaiya/ |
民宿だまっこ屋 |
住所:秋田県山本郡藤里町藤琴字里栗9-7営業時間:チェックイン13:00、チェックアウト10:00(予約時に要確認)定休日:不定休(予約時に要確認)URL:https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/stay |
酒どこ べらぼう |
住所:秋田県能代市柳町2-39営業時間:17:00〜22:00(ラストオーダー21:30)※予期なく変更の可能性あり定休日:月曜URL:https://berabou-noshiro.com/sakedoko/ |