川村 喜一(かわむら・きいち)
1990年、東京都生まれ。写真家・狩猟者・美術家。東京藝術大学・大学院修了。2017年より北海道・知床半島に夫婦で移住し、アイヌ犬「ウパシ」とともに暮らす。作品集に『UPASKUMA アイヌ犬・ウパシと知床の暮らし』(玄光社)がある。
Instagram:KIICHI KAWAMURA | 川村喜一 (@kiichi_kawamura)
X:川村喜一 (@KiichiKawamura)
移住して見えた知床のリアルな“素顔”
「旅に出て写真を撮って帰ってくるだけでは、その土地のことを表面的にしか見られないと感じていました」と川村さんは語ります。
「同じ時間を過ごして、季節の移ろいや動物たちの息づかいを肌で感じて、そこに暮らす人の想いを知った上で作品を作っていきたいと思ったんです」
移住後、数年にわたり知床財団の職員として世界遺産エリアの実情に触れた川村さん。そこで目の当たりにしたのは、人間と野生動物との意外な関係性でした。
「野生動物との距離が近いことは大きな魅力ですが、時にヒグマとの軋轢といった問題も生じています。一方で、動物側も人間のことを学び、観察し、したたかに利用していたりもする。暮らしてみて初めて、互いの間にある対等で複雑な関係性を知りました」
家の裏にある森へ一歩足を踏み入れれば、獣道がどこまでも伸びています。
「都会ではアスファルトの道がすべてでしたが、ここでは動物たちが道を作ります。それを辿ると川があって、『ああ、ここで水を飲むんだな』とわかる。次第に、さまざまな痕跡や音から動物たちの気配が感じられるようになって。自分の五感が、みるみる研ぎ澄まされていきました」

季節の移ろいも鮮烈で、雪解けとともに植物は一斉に芽吹き、短い夏の間に命を爆発させるように成長します。また、秋から冬へと移り変わる静謐な時期も印象深いものなのだとか。
「旅行客の姿が消え、木々は葉を落とし、世界から少しずつ色彩が失われていきます。その静寂のなかで、動物も、植物も、人も、みんな一斉に厳しい冬を越えるための準備を始めるんです」
それはまるで、自然全体が冬支度をするかのような命の緊張感。そして海は流氷に閉ざされ、雪が激しい日は一歩も家から出られないこともあります。しかし、「その過酷さが人と人とのつながりを濃密にする」と川村さん。
雪道で車が動けなくなれば、誰からともなく助けの手が伸びる。厳しい自然のなかで暮らすことで、人のあたたかみを強く感じると言います。
「自然の力は到底コントロールできないからこそ、みんなが寄り添い、支え合うのだと思います。ここでは人間は自然のたった一部。いつも夜になると家の外からフクロウの声が聞こえてくることがあります。人間だけが世界の中心ではないと感じられる瞬間に豊かさを感じます」
レンズが映し出す動物との“対話”
人間が存在しない理想の野生を表現する「ネイチャーフォト」とは異なり、動物の澄んだ目がはっきりとレンズを捉えている作品が多い川村さん。

「動物の世界と自分たちの暮らしは連綿とつながっていると感じるから、お互いが意識し合っている関係性のなかで写真を撮りたいんです。だから、被写体と向き合えていると感じた時にシャッターを切ります」
そんな川村さんにとって、動物界と人間界が地続きであることを肌身で感じさせてくれるのが、アイヌ犬・ウパシの存在です。
「ウパシは僕と暮らしているから人間らしさも備えつつ、森のなかでは僕にはわからない匂いを嗅ぎ取って駆け回る動物らしさもあって、まるで自然と人間の橋渡し役をしてくれるような存在です」
時にはウパシと、時には一人で。姿の見えない動物の気配を追い、森の音に耳を澄ます。「生き物のことをもっと知りたい」という想いは、狩猟の世界でも活きています。
「動物は自分自身を映す鏡のように感じられます。こちらが警戒すれば相手も警戒し、心が穏やかであれば、不思議と相手もそうであるように感じる。そうして獲った命を解体し、肉としていただくと、自分が生きて命が巡り、またどこかへ続いていくということがごく自然に感じられます。こうした感覚も、写真のなかで表現していきたいと考えています」
知床が教えてくれた日常に宿るアート
自然と暮らしが地続きであるように、「アートと日常にも境界はない」という川村さん。
「熟練のハンターが持つ感覚や歩き方は、僕にはとても美しく感じられるし、船乗りが海を見つめるまなざしや、農家さんが土とやり取りして作物を育てる営みもたくましい創造の賜物。まるで“地産地消”のように、その土地にあるものを最大限に活かして何かを生み出すことって最高のクリエイティビティだと思うんです」
知床の開拓の歴史をひもとけば、人々は過酷な自然のなかで道具を自ら考案し、使いやすいように改良を重ねてきました。そのバイタリティや自然に寄り添う姿そのものが豊かな創造力だと語ります。
日常に宿る創造性を見つめるからこそ、川村さんのインスタレーションはいつもユニーク。「同じ空間のなかで息をするような作品を作りたい」との思いから、光に透けて揺れる布に写真をプリントしたり、森で拾ったオブジェを活かしたり。紙媒体だけにとらわれない、多彩な表現を生み出し続けています。
現在は、斜里町にDIYでアトリエも制作中の川村さん。生活と創作の交流拠点として、さまざまな出会いの場になることを目指すと言います。

最後に、「いつか撮りたいものは?」と尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「自分の目の前にあるものが一体どこから来てどこへ行くのか、物事の成り立ちに興味があります。例えば、水もその一つ。川を源流まで遡りながら写真を撮ってみたい。自分の足で辿ることで、小さな水の流れがやがて海へと注ぎ、大気の循環に至る大きな環を感じられたら、と」
川村さんの目を通して見る知床。それは、厳しい自然と人々の営み、命の循環、そして見えないものへの想像力が幾重にも重なった美しいグラデーションの世界。彼のレンズの先には、私たちがまだ見ぬ新たな物語が息づいています。
川村さんが選ぶ、知床をより深く知るための3タイトル

『語り継ぐ女の歴史』(斜里女性史をつくる会・編)
明治・大正時代の北海道の開拓期に斜里町で暮らした女性152人の言葉を収めた、全6巻の聞き書き集。「町の歴史というと男性視点で語られがちですが、女性の視点から細やかに当時の様子が描かれています。実際の人の暮らしをありありと見せてくれるすばらしい一冊です」
写真集:『知床開拓スピリット』(栂嶺レイ・著)
未開の地だった知床を開拓し、逞しく生きた人々の歴史を170枚のカラー写真と開拓当時のモノクロ写真46枚とともに物語る写真集。「開拓者への取材と森に残された開拓跡地の撮影を通して、当時そこにあった『生活』を丁寧にすくいとる栂嶺さんの制作態度に感銘を受けます」
『Endless Winter』(Airda)
東京から知床に移住したミュージシャン・Airdaさんによるアルバム。初めて過ごした冬の生活の様子を、アンビエントとして表現した5曲を収録。ほか、12ページの写真ブックレットも付いている。「冬の静けさや寂しさ、長い時間そこに点在するぬくもりや光を感じられる作品です」
※この記事は2025年9月制作のものです。
関連スポット

フレペの滝
- 住所
- 北海道斜里町遠音別村
- 電話番号
- (問い合わせ先:知床斜里町観光協会 0152-22-2125)
- URL
- https://www.shiretoko.asia/detail/scenic/furepe
高さ約100mの断崖から流れ落ちる絶景の滝。展望台からはオホーツク海や知床連山などの大パノラマも望める。時に野生動物の姿もある知床八景の一つ。「滝に行くまでの短いコースに知床の自然が凝縮されています。特に冬は自然のなかにぽつんと放り出されたような感覚になれるところが魅力」

斜里町立知床博物館
- 住所
- 北海道斜里町本町49-2
- 電話番号
- 0152-23-1256
- URL
- https://shiretoko-museum.jpn.org/
斜里・知床の自然と歴史をひもとく博物館。1階では2万年を超える人の営みやオホーツク文化の貴重な実物資料を、2階では知床の動植物をジオラマや標本などで紹介。「自然だけでなく歴史や民俗にまつわる展示もあり、見どころが多くておすすめ。年齢を問わず楽しめる体験型展示も充実しています」