多様な生態系を育む知床で、「神の魚」を楽しむ
知床半島は、約3km沖の海までもが世界自然遺産に含まれており、その豊かな生態系とともにこの地で古くから生活を営んできた人々は、知床沿岸で穫れる豊富な海の幸を食べ、郷土料理として受け継いできました。
そんな知床の郷土料理でも代表的なものひとつが「鮭」をつかった「ちゃんちゃん焼」と呼ばれる料理です。
知床を含む北海道エリアの先住民族・アイヌの人々は、鮭を「神の魚(カムイチェプ)」と呼び、毎年秋には鮭を迎えるための儀式を行ってきました。
知床の清流で生まれた鮭は、3〜4年の時間をかけて遠くベーリング海やアラスカ湾などを回遊した後、自分の生まれた知床の川に戻って産卵をします。
毎年9月〜11月頃、知床の川の上流に戻ってきた鮭たちは産卵後、静かに息を引き取ります。さらにこれらの鮭は、オジロワシ、キタキツネ、エゾタヌキといった動物たちのエサになり、知床の多様な生態系をつくっているのです。
鮭とともにキャベツや玉ねぎ、長ネギといった野菜を鉄板の上で焼き、味噌で味つけした「ちゃんちゃん焼」は、北海道の漁師たちによって生み出されたと伝えられています。海の男たちにとって、ちゃんちゃん焼は手軽につくれて栄養価も高い、漁の疲れを癒やすご馳走だったのです。
知床で食堂を営む「マルミヤ大宮商店 夷知床えぞがしま」の藤田裕司さんは次のように語ります。
藤田:ぼくが子どもだった数十年前は、家族でよくちゃんちゃん焼きつくって食べていました。漁師が多く住んでいる街なので、ご近所づき合いとして鮭を丸1匹もらうことも珍しくないんです。ただ近年は、ここ知床でもさまざまな食材が手に入りやすくなったので、昔に比べてこういったローカルな習慣は薄れつつあるのも感じています。
そんな「ちゃんちゃん焼」をいまの時代に継承するために、マルミヤ大宮商店では、「ちゃんちゃん焼」を小麦粉の生地で包んだ「知床チェプ饅」という創作料理を提供しているそうです。
藤田:生地に包んだちゃんちゃん焼は、なるべく本格的な味つけにしています。最低限の調味料だけを使い、鮭、野菜本来の味を生かすことで、昔ながらの郷土の味を伝えているんです。
北海道以外で暮らす人は、ちゃんちゃん焼という料理の存在自体を知らない人も多いんです。新しい料理として興味を持ってもらうことで、ちゃんちゃん焼の魅力を伝えていきたいと思っています。
豊富な海産物を、家庭で加工・保存する文化が根づいている
アイヌの人々に「神の魚」と崇められ、神からの贈り物として大切に想い、食べられていた鮭は、捨てるところがない魚としても知られています。身だけでなく、頭、内蔵、骨も調理によって美味しく食べることができるほか、アイヌの人々は皮で衣服や靴などもつくっていました。
鮭がもたらす恵みのなかでも、多くの人の舌を楽しませているのが「いくら(卵)」です。醤油漬けしたいくらをご飯の上に乗せた「いくら丼」は、北海道のみならず全国で愛されている日本料理。都市部では高級メニューとして知られる「いくら丼」ですが、知床では郷土料理として比較的安価で味わえることから、訪れる人々にとって楽しみのひとつとなっています。
知床の各家庭では、「いくらの醤油漬け」をつくる文化が古くから根づいています。羅臼町で水産加工会社と直売所を営む「羅臼丸魚 濱田商店」の濱田小百合さんも、毎年「いくらの醤油漬け」をつくっている一人。
濱田:知床の家庭では、秋になると近所の漁師さんから鮭を手に入れて、当たり前のようにいくらの醤油漬けをつくってきました。醤油やみりんの分量など、それぞれレシピは異なりますが、家庭でつくったいくらの醤油漬けは、市販のものとは異なった自然な味わいがあります。民宿などでは、自家製のいくらを提供しているところもありますよ。
知床ではいくらのほかにも、ほっけやソウハチガレイの干物など、海産物を加工、保存する文化が各家庭に根づいています。知床の食文化として次の世代にも受け継いでいきたいですね。
知床の深海に潜む、幻のブドウエビとは?
知床の海では、鮭以外にもさまざまな魚介類と出会うことができます。特に豊富な海産物が水揚げされるのが、半島の東側に位置する羅臼町の漁港。
そして、多様な魚介類を「食」を通して実感できるのが、濱田さんが運営する「知床羅臼 濱田商店」でも提供している「海鮮丼」です。
カニ、いくら、ブリ、ホタテ、ウニ、鮭といった魚介類の刺身がご飯の上にぎっしりと盛り付けられた海鮮丼。知床の海が育んだ、都市部では味わえないレベルの新鮮な刺身に感動する日本人も多いそうです。
濱田:羅臼町と国後島の間にある根室海峡は水深2,400mまで急激に落ち込む複雑な地形をしており、そのなかに多様な魚介類が生息しています。また根室海峡は潮の流れが早いので、ここで穫れる魚介類は身が締まっているんです。
そして近年、知床で急激に人気が高まっているのが「ブドウエビ」。濱田さんによれば、この海老を目当てに知床を訪れる人も少なくないそうです。
濱田:その名のとおり、ぶどうのように鮮やかな紫色をしたエビで、ボタンエビよりも濃厚な甘みを持っています。ただし乱獲防止のため、羅臼町でブドウエビの漁獲権を持つ人は1人しかいません。
根室海峡の水深400〜500mあたりに棲息しており、その漁場まで漁港から片道6時間もかかるそうです。とても希少性が高いために「幻のエビ」と呼ばれているんです。
鮭を中心に、さまざまな魚介類をとびきりの新鮮さで味わうことができる知床の食。この地に生きる人々は有史以来、周囲の海と共存し、その恵みを味わう知恵を積み重ねてきました。
人間の生活もまた、自然の巡りの一部に過ぎない。知床の人々の食生活を通じて見えてきたのは、大きな自然に養われている人間の姿でした。
マルミヤ大宮商店 夷知床えぞがしま |
住所:北海道斜里郡斜里町ウトロ西187-12営業時間:9:00〜17:00定休日:日曜URL:http://www.ezogashima.com/ |
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知床羅臼 濱田商店 |
住所:北海道目梨郡羅臼町礼文町365-1営業時間:10:30〜15:30(15:00ラストオーダー)定休日:10月中旬〜1月下旬まで休業URL:https://rausu.co.jp/ |