World Natural Heritage in Japan 日本の世界自然遺産

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    屋久島

    神の住む山で祈る 屋久島の伝統行事「岳参り」

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    九州最高峰である宮之浦岳と、熱帯魚の群がるサンゴ礁の海を擁する、鹿児島県の屋久島。変化に富んだランドスケープが際立つ、世界自然遺産の島として広く知られています。なかでもユニークな生態系を育む山々は、島で暮らす人びとの信仰の拠りどころでもありました。「岳参り(たけまいり)」と呼ばれる祈りのための山行を通して、屋久島の暮らしに迫ります。

    威厳に満ちた洋上のアルプス

    海岸から望む屋久島の山々。向かって右手、尖った形をした頂が楠川前岳。

    九州本島の最南端に位置する鹿児島県大隅半島の南方に、日本で初めて世界自然遺産に登録された屋久島があります。南国ムードの漂う海岸線とは対照的に、険しい山塊がひしめく威厳に満ちた島影が、来訪者に強烈な印象を与えます。屋久島は標高1,800m以上の山岳が10座、1,000m級以上が46座を数えることから「洋上のアルプス」という異名をとっているのです。
    山を愛する人びとにとって、屋久島は憧れの地。宮之浦岳や縄文杉といった著名な登山ルートは、多くの人で賑わっています。けれども屋久杉を巡り、山頂を目指すのは、登山客だけではありません。屋久島で生きる人びとも、古くからその頂を目指しました。それは山に住む神に祈りを捧げるためでした。

    早朝の楠川天満宮で岳参りの参拝を行う地元の人びと。菅原道真公を祀る神社は、里の守り神としても愛されている。

    屋久島の人びとは、自らの集落の背後に迫る山からの恵みを授かって暮らしてきました。集落から見上げることのできる慣れ親しんだ山を「前岳」、普段は目にすることのない奥まった場所に鎮座する山を「奥岳」と呼び、山と里を行き来して生活文化を築きます。同時に、それらは畏怖の念を抱く対象でもありました。長い年月をかけて積み重ねられた島の信仰を象徴する行事が、山の神を祀る「岳参り」という山行に凝縮されています。
    屋久島には24の集落があり、古くから集落ごとに岳参りを行ってきました。しかし第二次世界大戦後、経済成長が加速した時代になると若い世代が島外に出るようになり、岳参りを一時的に行わない集落が多くなったといいます。そんな逆境でも、大切な神事を絶やすことなく守りつづけてきたのが、楠川集落です。屋久島でもっとも歴史ある楠川の岳参りに参加させてもらうことにしました。

    • 天神の浜で身を清める岳参りの参列者たち。
    • 楠川集落の岳参りでは、米、塩、酒(焼酎)を神への供え物としている。漁業者が参加する際はトビウオなど海の幸も添えられる。

      海抜0mから標高1,125mの楠川前岳へ

      植林された杉林をかいくぐるように古道は奥へとつづいている。

      ようやく空が明るくなりはじめた8月の最終日曜の午前5時30分、岳参りに参加する集落の人びとが楠川天満宮に集まってきました。まず目の前に広がる天神の浜で身を清め、楠川天満宮で拝礼を行うと、参加者の一人が「あそこに見える山に登るよ」と指を差した先に見えたのは楠川前岳(くすがわまえだけ)。集落を見守るように佇む、標高1,125mの山です。山の神に供えるための米、塩、焼酎、線香を抱えると、海抜0mの浜辺から岳参りは始まりました。
      幹線道路沿いに「楠川歩道」という標石があり、どのような道なのか、区長を務める牧優作郎さんに聞いてみました。
      「あの標石は、かつての登山道の入口であることを示しています。登山道は、江戸時代には伐採した屋久杉を山から運び出す搬出路として機能しました。大正時代に屋久杉を調査したイギリスの植物学者・ウィルソン博士もこの道を利用していたんですよ」
      楠川の岳参りはこの古道に沿って進んでいきます。道中に先人たちが祈りのために建てた祠がいくつかあり、それらを巡って楠川前岳へと向かうのです。

      里山林の古い木に置かれた「ノノヨケイ」の祠。

      植林された杉林をかいくぐるように、奥へ奥へと進みます。初めに一行が足を止めたのは、「ノノヨケイ」と呼ばれる場所。そこは山と里、つまり神の領域と人の世界を隔てる境界線です。薄暗い森に立つ古い樹木の根元にある小さな祠に、お供え物を並べて手を合わせ、神の住む楠川前岳に入ります。早朝の里で鳴り響いていた生き物たちの大合唱が、いつしか野鳥のさえずりと沢の流れる音に変化しました。森にはヘゴやクワズイモといった南方の植物が自生し、地元の人びとが大切に育ててきた杉が並んでいます。
      道は次第に険しくなってきました。登山者の往来が普段はないため、想像以上に荒れています。何百年も前から使われてきた石積みは表面がつるつるして、足が滑りそうになるのを注意しながら登っていきます。山に慣れた人が先頭に立って藪を刈り、つづく人が下山ルートの目印となるマーキングテープを結んで登山の安全を確保。和やかに談笑していた一行の口数はだんだん少なくなり、早くも集団のペースから遅れをとる人も出はじめました。

      • 険しい傾斜のなか、木々の間を進んでいく。
      • 道中、川の水で喉を潤しているところ。

        神の存在を感じさせる神秘的な光景

        三本杉の前で祈る楠川の参拝者。幹と幹の隙間に祠がある。

        岳参り最大の難所のひとつとされる「ヨシトギの坂」をへて、根の部分から幹が分かれて伸びる、「三本杉」という巨木に到着しました。楠川の人びとにとって神聖な木であり、集落に小学校があった時代には全校遠足の目的地だったそうです。3本のうちの1本は10年ほど前の台風によって倒れ、そのまま放置されていました。周りの人に樹齢を聞いてみるものの、誰も分かりません。代わりに参拝者の一人が興味深いことを教えてくれました。
        「大正時代ごろ、三本杉の根元に小さな祠を置いたと伝え聞いてます。それから杉がどんどん成長したので、祠も根株と一緒に盛り上がりました。見えますか?」
        地面から2mくらいの高さに幹が複数に分かれてできた小さな空間があり、その奥に木に埋もれる祠がありました。屋久島で生き抜く生命の力を、その祠は物語っているようでした。さらに1kmほど山を登ると、白谷雲水峡に到着。林道は整備されていて、樹齢千年を超える屋久杉や苔むす森を気軽に鑑賞できるスポットとして観光客に人気の場所です。岳参りをはじめて2時間あまりが経過し、標高にして800mほどを登ったということになります。かつて、一行はここで楠川前岳へ行く班と「奥岳」と呼ぶ石塚山へ行く班に分かれ、2つの山頂を訪れて祈りを捧げていたそうです。

        はるか昔に切り開かれた古道を頼りに急峻な山肌を登る。

        白谷雲水峡の林道からは、再び獣道のような古道になります。過去に何度も岳参りに参加しているベテランも、「なかなかの道ですねぇ」と苦笑するほど、さらに急峻さが増します。やがて小さな滝で水分を補給し、少しずつ頂上へと近づいていきます。
        尾根に差し掛かると霧が立ち込め、山は幻想的な雰囲気に包まれました。枯死した名もなき屋久杉が倒れ、風雨に晒された巨大な根株が化石のように眠っています。切り株を覆う苔植物、倒木した杉に着生して新たに成長する菌類。あらゆる生命体が複雑に絡み合う光景は、この世に存在するものとは思えないほど神秘的です。屋久島では先人たちの時代から、岳参りをすることでこうして神の存在や、自らも生態系の環の中にいるという事実を感じたりしてきたのでしょう。
        前岳の頂上に到着したのは、午前10時45分。歩きはじめてから4時間30分が経過していました。霧は次第に雨雲に変わり、山頂に着くころには雨に。残念ながら楠川集落を見下ろすことはできませんでしたが、天候によって表情を大きく変化させる天然林を目に焼き付けることができました。
        「ありがとうございます」
        「今年もやって参りました」
        祠の前に米、塩、焼酎を並べ、参拝者全員が神妙な面持ちで手を合わせます。無病息災、家内安全、商売繁盛、そして世界平和。人びとの思いはさまざまですが、集落の安泰と発展を願う気持ちはみな同じです。持参した弁当でお腹を満たし、下山します。

        • 標高によって植生は変化し、森林は多様な姿を見せてくれる。
        • 風で飛ばされた植物の種子や胞子が倒木に着生して生育する。
        • 屋久島では約1000年を超えた樹齢の杉を「屋久杉」、若い個体を「小杉」と呼ぶ。

          伝統の岳参りの未来は

          それぞれの思いを胸に、山頂の祠で手を合わせる参列者。お供えの焼酎はもちろん屋久島の清らかな水で作られた芋焼酎「三岳」。

          ピンク色のマーキングテープを頼りに、急斜面を慎重に歩き、4時間近くかけて里に到着。普段から登山に馴染みのない筆者は、最後は足が上がらなくなるほど疲労困憊してしまったものの、なんとか自力で山を降りることができました。参加者のなかで最高齢という榎光徳さんが、「よーこんなとこ登ってきたよねぇ」と笑いながら、筆者に付き添い励ましてくれました。
          里に戻ると「正木の森」と呼ばれる神域で、僧侶を呼んで最後の祈祷と厄祓い。その昔は岳参りの日は集落のみなが仕事を休み、代表して岳参りに出た男たちが里に戻ると、ご馳走を詰めた重箱を並べてお酒を飲みながらその労を労う会「ウチュムチュ(うち迎え)」がこの森の中で行われていたそうです。

          集落を代表して岳参りに参加した楠川の面々。下は20代、上は70代という多様な世代が集まった。

          楠川は江戸時代の屋久島の様子が記された古文書が現存する、島内で唯一の集落。それ故に、自然と共生する島独自の生活文化が色濃く残る場所といわれています。一方で屋久島は、過疎化が進む離島のひとつです。楠川の人口も徐々に減り、高齢化が進んだことから、集落の行事を以前と同じ形で維持することが次第に困難になりました。かつて旧暦に従い春と秋に行われていた岳参りですが、今は毎年8月最後の日曜に行っています。夏休みの週末に行うことで若い世代の参加を促し、伝統の担い手を育成するためです。岳参りの日の夜、岳参りに参加できなかった集落の人びとや食事を準備してくれた女性たちも集い、公民館で慰労会が催されました。「ありがとうございました」「お疲れ様でした」と声をかけられ、清々しい気持ちになります。参拝者のひとりが呟きました。
          「岳参りが近づくと『ああ今年もやるのか』と気が重くなり、山に入ると『もう今年で最後にするぞ』と気が滅入る。それが山頂に着くと『また来年もお参りしよう!』となる。不思議なものでね」
          歴史ある集落の伝統行事に同行したことは大変光栄なことで、島に深く根ざした山岳信仰に触れる、貴重な一日となりました。さらに楠川の皆さんと酒を酌み交わすうちに、予想外の事実が判明しました。
          「今日の岳参りを100とすれば、縄文杉トレッキングは70くらいの力で行けるよ」
          改めて、岳参りの困難さを痛感したのでした。

          • 正木の森で行われた、岳参りを締めくくる神事。神職でなく僧侶が取り仕切るのは、古くから楠川の神社に宮司がいなかったため。
          • 楠川で大切に保管された島で唯一の古文書。藩政時代は庄屋が、近代以降は区長が「開かずの箱」と呼ばれる木箱に入れて守ってきた。
          • 岳参りを労う慰労会。惣菜、おにぎり、とれたての海の幸などが並ぶ。

            取材協力

            楠川集落の皆さん

            住所
            -
            電話番号
            -
            URL
            -

            屋久島空港から車で北の方向に10分ほどのところにある集落。菅原道真公を祀った「楠川天満宮」、屋久島に残る歴史的資料で町指定文化財の「楠川古文書」、町指定無形民俗文化財の「楠川盆踊り」、火縄銃による合戦があったと言い伝えられている「楠川城跡」などがあり、歴史と伝統が色濃く残るエリア。岳参りも江戸時代からつづいている。

            関連スポット

            楠川盆踊り

            住所
            鹿児島県熊毛郡屋久島町楠川199-2(本蓮寺境内 ほか)
            電話番号
            -
            URL
            https://www.pref.kagoshima.jp/ab10/kyoiku-bunka/bunka/museum/shichoson/yakushima/kusukawa.html

            その年に亡くなった人のために踊る伝統行事。江戸時代後期からつづくとされ、威勢のよい掛け声から「ヨイヤサ」としても知られている。6種の踊りと、囃子ごとに異なる道具を使う華やかさから、2024年に鹿児島県の無形民俗文化財に指定された。毎年8月13、15日に開催。

            楠川温泉

            住所
            鹿児島県熊毛郡屋久島町楠川1364-5
            電話番号
            0997-42-1173
            URL
            https://www.town.yakushima.kagoshima.jp/cust-facility/1420/

            集落から1kmほど離れた亜熱帯の森林のなかに位置する天然温泉。藩政時代から湯治湯として親しまれ、現在も地元の人びとが身体を癒やしに訪れる。泉質はアルカリ性単純泉。観光客も気軽に利用できる貴重な日帰り温泉施設。

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