World Natural Heritage in Japan 日本の世界自然遺産

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小笠原諸島

海洋島という希少な自然環境が生んだ、小笠原の食文化

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独自の野菜・果物があらためて注目される小笠原諸島

東京都心から南に約1,000km離れた小笠原諸島。島を訪れるには船で片道24時間もかかるため、これらの島々では、ゆったりとした時間と南国の日差しのなか、日本の他の地域とは異なった独自の文化が育まれてきました。

小笠原諸島は、希少な自然環境と触れ合える観光地として長く知られてきましたが、近年あらためて注目されているのが「島野菜」「島フルーツ」と呼ばれる独自の農産物による食文化です。

 

父島にあるペンション「くつろぎの宿てつ家」のオーナー兼調理師である中村哲也さんは、島野菜の魅力を次のように語ります。

中村:小笠原で育てられた島野菜は、全国的にあまり出回っていないこともあり、それを目的に島を訪れる方も徐々に増えています。

 

島野菜の魅力はその味の濃さ。たとえば最近スーパーなどで販売されているトマトのほとんどはビニールハウス栽培で味もマイルドなものが多いと感じます。しかし、温暖な気候のなかで強い日差しを浴びながら露地栽培でつくられる小笠原の「島トマト」は、本来のトマトが持っていた濃い味わいをしているんです。

島内では、大玉の島トマトのほかにも、中サイズのミディアムトマト、ミニトマトも盛んに栽培がされています。そのなかでも最近人気なのが、甘みの強いミニトマト。全国からの注文も多いそうです。そして、トマトと並んで人気なのがシカクマメ。海外では「winged bean」という名前で知られるこの豆は、島内の多くの飲食店で楽しむことができます。

 

中村:シカクマメは、約35年前から小笠原で試験栽培がはじまったのですが、いまでは小笠原を代表する島野菜として知られています。油と相性がいいので、天ぷらがおすすめ。素材の味を引き出しながら、シャキシャキとした歯ごたえを楽しむことができます。

そもそも小笠原の島々は、決して農業に向いた土地ではありませんでした。火山活動の隆起によってできた島には平らな土地は少なく、掘ればすぐに岩盤に当たってしまう。そんな土地を小笠原の人々は苦労しながら開墾してきたのです。

 

島の魅力にあらためて気づいた島民たち

亜熱帯気候に属する小笠原諸島では、野菜だけでなく、マンゴーやレモン、パパイア、パイナップルなどの「島フルーツ」も数多く栽培されています。なかでも、島フルーツを代表するのがパッションフルーツ。南米を原産にするこの果物は、爽やかな香りと甘酸っぱさが特徴です。

中村:パッションフルーツは、4月〜7月頃までが1回目の収穫期。そして秋から2回目の収穫期を迎えます。秋収穫のパッションフルーツは日照時間の関係で糖度が落ちるため、ジュース、ジャム、リキュールなどの加工品として使われているようです。

 

小笠原では、亜熱帯という気候が幸いして、何も手をかけなくても南国のフルーツが勝手に実ってくれる。私の家の庭でも、バナナやパパイヤなどを収穫することができます。もちろん農家さんがつくったものには敵いませんが(笑)。

 

小笠原で栽培された果物や野菜は、島の直売所などで販売されています。人口約2,600人の小笠原村では、誰がどんな野菜や果物を育てていて、どういう特徴があるのか、島に長く暮らしている人は熟知しているのだそう。それぞれのこだわりの農法で育てられた果物や野菜の味の違いが楽しめるのも魅力のひとつです。

中村:私は小笠原で暮らして20年以上になるのですが、この20年間で小笠原の人々と農産物の関係性は大きく変わったように感じます。20年前の島の人々は、本州から船便で送られてくる食料品を楽しみに暮らしていました。島で穫れる食の魅力、その発信力に、島の人自身が気づいていなかったんです。

 

いまや「島野菜」「島フルーツ」は、小笠原の人々にとって、かけがえのない食文化であるだけでなく、誇りでもあります。「島野菜」「島フルーツ」のために小笠原まで来てくれる人がいるのもうれしいですね。

 

140年以上の歴史の果てに成功したコーヒー栽培

そして、小笠原の農業において外すことができないのがコーヒー。じつは小笠原は、日本におけるコーヒー栽培発祥の地。小笠原コーヒーは、コーヒーマニアなら一目置くブランド豆としても知られています。

 

小笠原でコーヒー豆の栽培が始まったのは、いまから約140年前のこと。政府によって試験栽培が行われたものの、当時の日本ではコーヒーを飲む文化が根づきませんでした。

 

そんなコーヒー栽培が小笠原で復活を遂げたのがいまから20年ほど前。父島で100年以上に渡って農業を営む野瀬農園5代目、野瀬もとみさんは、父の昭雄さんとともに、その復活に尽力した一人です。

野瀬:そもそも日本では、コーヒー豆がほとんど栽培されてこなかったため、ノウハウや前例がない状態からの挑戦でした。豆を脱穀するための機械を手に入れるために日本中を探し回りました。

 

最初は豆が無事に育つのかも、経済栽培として成立するのかもわからない。道なき道を進み、ようやく近年、安定して出荷できるようになってきました。

 

ただし、いまでもコーヒー豆の栽培には多くの苦労が伴います。種を植えてから最初の収穫までは5年もかかるし、一粒一粒ていねいにコーヒーの実を収穫しても、1kgを収穫するのに30分程度かかります。そこから、コーヒー豆として使われる種部分を取り出すと、わずか100g程度になってしまうんです。

そんな苦労を経て生み出されるわずかな小笠原コーヒーの豆は、お土産品や島内のカフェへの出荷ですぐに完売。島外で飲めるチャンスは、ごくわずかしかありません。

 

野瀬:私の農園で出荷するコーヒー豆は、1年間でおよそ200kg程度。コーヒー1杯に10〜15gの豆を使うので、2万杯分くらいしかつくれません。コーヒー農園のガイドツアーをさせていただくこともあるのですが、小笠原産のコーヒー豆がこれほど手間暇かけてつくられていることに驚かれ、感動される方も多くいらっしゃいますね。

 

じつは野瀬さん自身、そんなコーヒーに感動して小笠原で暮らしはじめた人物でした。野瀬さんの家系は古くから小笠原で暮らしていたものの、第二次世界大戦後、小笠原諸島がアメリカに占領されたことを受けて東京中心部に移住。野瀬さんが生まれ育ったのは、大都会の東京でした。

 

野瀬:ちょうど私が生まれた頃に小笠原諸島が日本に返還(1968年)され、父が小笠原に戻りました。私はそのまま東京で会社員として生活を続けていたのですが、最終的には小笠原に移住しました。

 

当初は長く暮らすつもりはなかったのですが、コーヒー豆が成長していく様子や、栽培方法を自分で確立していくことが楽しく、気がついたらずっとここで暮らしていたんです。

島野菜、島フルーツ、コーヒー豆など、さまざまな農作物でも知られる小笠原諸島。歴史を振り返ると、アメリカからの返還や世界自然遺産登録などのターニングポイントと、当時の島の人々の新しい動きによって、現在の文化が生み出されてきたことがわかりました。

 

稀少な自然環境と同様に、小笠原に住む人々は、日本の他の地域には見られない珍しい農作物を育てていました。世界自然遺産の島に降り注ぐ太陽は、農作物をぐんぐんと成長させ、そこに住む人々に多くの恵みをもたらしているようです。

くつろぎの宿てつ家
(現・風土の家 TETSUYA)
住所:
〒100-2101 東京都小笠原村父島字北袋沢(番地なし)
電話番号:
04998-2-7725
営業時間:
チェックイン12:00、チェックアウト翌11:00
定休日:
なし
URL:
https://tetsuyabonin.com/
Nose's FarmGarden
住所:
東京都小笠原村父島字長谷
電話番号:
04998-2-3485
営業時間:
コーヒーツアー10:00〜
定休日:
不定休
URL:
https://www.nosefarm.com/
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