ここにしかいない動植物に出会える小笠原諸島
東京都心から船に乗り、太平洋を南下。21時間を過ぎた頃、紺碧の海にいくつもの島、小笠原諸島が見えてきます。
30余りの島々からなる小笠原諸島は、住所のうえでは「東京都」です。しかし夏の日差しで白く輝く砂浜や、サンゴの棲む青い海の様子は、高層ビルが立ち並ぶ東京の景色とはほど遠い南の島そのもの。
小笠原諸島の誕生は4,800万年前にまで遡ります。太平洋プレートが沈み込んだことによる火山活動で島が誕生して以来、一度も大陸と地続きになったことがありません。
そのためこの島々にはいまも手つかずの自然が多く残っており、小笠原諸島に生育する植物の約40%、カタツムリにいたっては90%以上がここでしか見られない固有種になります。その稀有な自然環境が評価され、2011年に世界自然遺産に登録されました。
小笠原諸島のなかで、一般人が住んでいる島は父島と母島のみ。一番人口の多い、約2,000人の島民が暮らす父島でも、町といえるのは船着き場のある二見港周辺の限られたエリア。島の大部分が山や森で覆われ、長い歴史のなかで人と動植物が互いにその存在を尊重しながら暮らしてきました。
島には、ガイドなしでは入れない固有種の保護区も設けられていますが、保護区エリア以外でも固有種は見つけられます。たとえば、島民の住むエリアでも「アカポッポ」の愛称で親しまれている固有種、アカガシラカラスバトに遭遇することもあります。
夏には、白い花びらと黄色いおしべのコントラストが綺麗なムニンヒメツバキ(5~6月)や、白い花びら4枚で咲く直径3センチメートルほどのムニンノボタン(7~8月)など、固有種の花々も次々と咲き始めます。
ムニンノボタンをはじめ、固有種のなかには絶滅危惧種として保護されているものもあります。観察する際には細心の注意を払いましょう。
約200年続く島民とアオウミガメとの関係
7月から9月にかけて、小笠原諸島では孵化したアオウミガメを海へかえす、放流体験に参加できます。
固有種の存在だけでなく、小笠原諸島は日本最大のアオウミガメの繁殖地としても有名。ここ数年は、毎年5月から8月にかけて300〜500頭ほどのメスのアオウミガメが産卵にやって来ます。
小笠原諸島で暮らす人びととウミガメの歴史は古く、その関係は父島に初めて人が住み始めた1830年頃にまでさかのぼります。当時から食料としてウミガメ漁が行われ、一時は乱獲によってその数が減少した歴史もありました。
「いまは年間で135頭の捕獲制限を守りながら、自然孵化の割合を順調に伸ばしています」と、主にアジア地域でウミガメの保全活動をしている、認定NPO法人エバーラスティング・ネイチャーの北山知代さんは言います。
北山:ウミガメは絶滅危惧種に指定されていて、地球上にたった7種類しか存在しない生き物です。アオウミガメはそのうちのひとつ。
私たちは父島にある「小笠原海洋センター」を運営しながら、父島・母島・聟島の3島、あわせて約40海岸でアオウミガメの産卵状況の調査を行っています。
産卵巣の数を数えたり、母ガメに標識タグをつけて調査に役立てたり、小笠原海洋センターではさまざまな保全活動を行っていますが、あくまでも「自然のものは自然のままに」が活動方針。
「浜に棲むカニやアリに卵が食べられてしまう食害も、島の生態系全体で見ると自然なこと」だと北山さんは話します。
北山:例外として、二見港周辺の人々が住むエリアに一番近い大村海岸の産卵巣だけは掘り起こして、卵が孵化するまで小笠原海洋センターで保護しています。
なぜかというと、この海岸で孵化した子ガメたちは、民家や街灯の光の影響で海と反対方向に歩いて行ってしまうんです。そのせいで車にひかれたり、干からびて死んでしまったりする子ガメもいました。産卵シーズンには夜中2時ごろまで夜間パトロールを行って、産卵調査や観光客の方に産卵観察のアドバイスもしています。
ちなみにウミガメは、孵卵中に経験する温度で生まれてくる性別が決まります。自然の性別比を守るためにも、産卵巣の掘り起こしは性別が決まったあとに行っています。
満天の星空の下でアオウミガメの放流体験
大村海岸で保護された卵は海洋センター内に移動し、孵化したらできるだけすぐに放流されます。この活動が、放流体験アクティビティーとして観光客にも開かれています。
夜間子ガメの放流会は、父島北部の宮之浜と、南西部のコペペ海岸で交互に行われます。放流地を2か所にしている理由は、サメなどの捕食動物に気づかれないようにするため。開催有無はその日に告知されるので、参加希望者は海洋センターに尋ねてみましょう。指定された海岸へは各自で集合します。
「昼間は海水浴客で賑わっている海岸も、夜には印象が変わります」と北山さんが言うように、日が暮れた父島は少し町から離れるだけでとても静か。最初に集合する海岸の駐車場では、孵化してすぐの小ガメが入った箱をもって、スタッフが待っています。
子ガメには、大人のカメにはない特徴がいくつかあります。卵黄とつながる、おへそのような小さなお腹の跡もそのひとつ。卵角と呼ばれる鼻先のとんがりも子ガメだけがもっています。これは、孵化の際に卵の殻を割るためのものです。
北山:ウミガメはお腹のなかに、卵黄という栄養のかたまりを持って生まれてきます。子ガメはその栄養を使って巣穴から外に出て、海を目指すのです。
卵黄が体に吸収されきるまでは約2週間。そのうち、巣穴から外に出るまでに3日~7日かかります。残りの数日で、「潮目」と呼ばれるプランクトンが豊富なエリアにたどり着かなければ餓死してしまうのです。そのため、保護した卵から小ガメが出てきたら、すぐに浜へ戻し、海に放流しています。
放流会では、最初にスタッフが参加者の皆さんに、紙芝居を使ってウミガメについて話してくれます。英語での対応も可能です。
北山:駐車場ではウミガメと触れ合ったり、記念写真を撮ったりする時間もとっています。浜に出たら、携帯電話や懐中電灯の明かりは消してくださいね。
駐車場でのレクチャーや撮影が終わったら、元気よく手足を動かす子ガメたちを連れて浜辺へ移動します。浜辺は人工的な明かりが一切ないため、足もとも見えないような暗闇。そのぶん、晴れた日には夜空に無数の星が輝いて見えます。とくにコペペ海岸では、息をのむような美しさの天の川を見ることができるでしょう。
北山:ウミガメは、星の光や月明りを頼りに海を目指して進んでいきます。もし夜の海岸で子ガメが歩いているのを見つけても、ライトで照らす、フラッシュ撮影をするなどの行為はやめましょう。
人の手から離れた子ガメたちは、最初から行き先を知っているかのように一目散に波打ち際へ走り出します。子ガメたちが必死で砂浜をかき分ける、パタパタというかすかな音に耳を澄ませてみてください。
浜では母ガメの産卵に出くわすこともあります。そのときも明かりはつけずに、遠くで静かに見守ってあげてください。
アオウミガメを守るためにできること
夏になると島の海岸のあちこちにやってくるアオウミガメですが、小笠原諸島の島民はわざわざカメの産卵を見に行ったりはしないといいます。
北山:この時期、海から上がってくるウミガメの産卵風景を見るのは比較的簡単だと思います。でも、島の人にとってはウミガメがいるのが当たり前。必要以上に近づかず、適度な距離を保って生活しています。
ただ、ウミガメに無関心なわけではありません。台風の後には海岸に流れ着いたゴミをボランティアで拾い集める島の人も多くいますし、ウミガメだけでなく島の自然と生き物を守ろうという意識が根づいているんです。
父島のスーパーや商店を訪れてみると、ウミガメのイラストとともに「カメをライトで照らさないで」と書かれたポスターが貼られているのに気づきます。
北山さん:これは小笠原小学校の生徒が毎年つくるポスターです。子どもたちは1年かけて、ウミガメについて勉強します。私たち小笠原海洋センターのスタッフも講師を務めていますよ。
「アオウミガメや小笠原諸島の海洋生物について知りたいと思ったら、ぜひ小笠原海洋センターに来てください」と北山さん。小笠原海洋センターは、船着場である二見港の対岸・枝サンゴの繁殖地として知られる製氷海岸のすぐそばにあります。
小笠原海洋センターには、アオウミガメや小笠原諸島の海洋生物の生態を写真やパネルで紹介した展示館エリアと、実際にウミガメを飼育している飼育エリアがあります。
2時間の「ウミガメ教室」も行っており、ウミガメの生態や歴史にまつわるレクチャーを聞いたり、ウミガメの甲羅磨きを体験したりできます。
北山さん:ウミガメのおやつも販売しているので、給餌体験もできます。子ガメは雑食なので、細かく刻んだシーフードミックスがおやつです。大人になると草食よりに好みが変化していくため、大人用のおやつはキャベツを用意しています。
両手に収まるほど小さかった子ガメは、大人になると1メートルほどの大きさに成長します。大きな体と丸い頭をゆらして、水面に浮かぶキャベツを食べる様子は愛嬌たっぷりです。
小笠原諸島ではウミガメの保全のほかにも、独自の生態系を守るために外来種の侵入を防ぐ取り組みや、固有種の繁殖地の確保などの環境保全活動が行われています。
アオウミガメの放流体験をとおして、動植物と人々が居心地のよい距離を保ちながら暮らす、小笠原諸島の暮らしに触れることができました。
小笠原海洋センター |
住所:東京都小笠原村父島字屏風谷電話番号:04998-2-2830URL:http://bonin-ocean.net/ |
---|