World Natural Heritage in Japan 日本の世界自然遺産

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小笠原諸島

「待つ」ことで守られてきた、小笠原諸島の自然

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東京の2つの島から学ぶ、自然と向き合い続ける姿勢

おがさわら丸の船内で、一枚のステッカーが目にとまりました。「東京」から「東京」へ、両向きの矢印。その下に大きく「片道24時間」。さらにその下に、こう書かれています。「カンタンに手に入る感動は、ちょっと物足りない」。

島で過ごすあいだ、この言葉を何度も思い出しました。時間がかかるのは、船だけではありませんでした。

小笠原では、時間がかかることは不便ではありません。それが自然で、そこにこそ意味があります。島は、訪れる人に「待つ」ことを求めます。島で暮らし、その自然を守ってきた人たちには、さらに辛抱強く待つことを求めます。島では、何をするにもまずそこから始まります。地球上でここにしかいない生きものを相手にするときも、そこは変わりません。

おがさわら丸で小笠原諸島にたどり着くまで、まる一日。アオウミガメが生まれた浜へ戻ってくるまで、およそ40年。研究者が産卵地を見守ってきた年月は、数十年におよびます。そして島そのものと、そこに生きる固有の生きものたちは、何百万年をかけて今の姿になりました。

それでいて、この生態系の未来は、毎日くり返される無数の小さな判断にかかっています。地質学的な時間と、島の人の日々の営み。その両方が、小笠原の自然をかたちづくり続けています。

母島・堺ヶ岳からの眺め。小笠原の生態系を守っているのは、島に暮らす人たちの日々の積み重ねだ。

何百万年という年月がかたちづくった島

日本の多くの土地と違い、小笠原諸島は一度も大陸とつながったことがありません。 およそ4800万年前、太平洋の海底火山の活動によって生まれて以来、この海洋島はずっと孤立したまま存在してきました。外の世界から隔てられたなかで、偶然たどり着いた生きものたちは少しずつ新しい環境に適応し、やがてほかのどこにもいない種へと姿を変えていきます。オガサワラオオコウモリ、陸産貝類、そして何百種もの植物と昆虫。小笠原は今、固有種が高い密度で集まる場所になっています。

この進化の歴史が評価され、小笠原諸島は2011年、ユネスコの世界自然遺産に登録されました。生態系と進化の営みが今なお進行している場所として、そして数多くの固有種の拠りどころとして、世界的に重要だと認められたのです。

ただ、ここで生命を進化させた孤立は、同時に、その生命を脆いものにもしました。外敵のいない環境で育ってきた種は、外来の動植物や、来訪者の靴について運ばれてきた病原体によって、その存続がたやすく脅かされてしまいます。だから小笠原を守るというのは、風景を過去のまま凍結させることではありません。近代化と観光客の増加という新しい圧力にさらされながらも、この生態系が進化を続けていける余地を残しておくこと。それが、ここでの保全の意味です。

数十年単位の保全、小笠原のアオウミガメ

狩猟の対象になるような在来の陸生哺乳類がいなかったこの島で、アオウミガメは長いあいだ、島の人たちの貴重なタンパク源でした。それだけ深く頼っていたからこそ、その数が減りはじめたことに最初に気づいたのも、島の人たちでした。

小笠原では、人と生きものを切り離すのではなく、島の人たちとこの生きものとの関係を大切にしながら、保全のあり方を変化させてきました。このとき始まった保護は、日本でもっとも長く続くウミガメ保全事業の土台になりました。一世紀を超えて、その仕事は今も続いています。捕獲は現在も厳しく管理され、年間の上限は135頭。この数字が示しているのは、ここでの保全が島の食文化を消すためのものではなく、健全な野生の個体群と両立させるためのものだということです。

父島の小笠原海洋センターで、アオウミガメの保全について学ぶ。

この長い取り組みを、いちばんよく感じられる場所が小笠原海洋センターです。スタッフは産卵巣のモニタリング調査を行い、人の影響によって問題が生じる場合には、必要に応じて対策を講じています。たとえば、光害の影響がある大村海岸で産卵された卵を別の場所へ移動したり、産卵後に海へ戻れなくなった個体を海へ誘導したりすることもあります。一方で、水没や流出など自然のなかで起こることには、むやみに介入しないという。“人の影響をできる限り小さくすること”。それが、ここでの保全の基本的な考え方です。調査と保全のために子ガメを育てながら、アオウミガメの個体群について日本でも最長級のデータを取り続けています。

その仕事がなぜ必要なのかは、数字を見るとよくわかります。一つの巣に産み落とされる卵は100個ほど。「無事にふ化して海へ帰った稚ガメのうち、成熟するまで生き延びるのはわずか0.2〜0.3%と推測されています」センターで案内してくれた清水菜々子さんが教えてくれました。生き延びたわずかな個体は、本州・四国・九州の太平洋沿岸や南西諸島など、広い海域で成長し、40年近い年月を経て、繁殖期になると小笠原へ戻ってきます。

センターから放されるカメは一頭ずつ、何十年先にならないと続きがわからない物語の一部になります。海へ帰す前に、丁寧に計測し、標識をつけ、記録を残す。何年か経ってどこかで再会できれば、回遊のルートや生存、繁殖の成否について、かけがえのない手がかりが得られます。

「保全は、数年で結果を測るものではありません。一頭のカメがその生涯を語ってくれるまでに、何十年もかかることがあります」

小笠原海洋センターの清水菜々子さんが、アオウミガメの生態と保全について解説してくれた。

センターは、伝えることそれ自体を保全だと考えています。だから訪れた人にも、この物語に加わってもらう。夏に開かれる3時間の「ウミガメ教室」は、講義と体験を組み合わせて、この生きものとそれが直面している問題を深く知ってもらうためのプログラムです。

清水さんに教わりながら、若いカメの甲羅をブラシでこすり、餌をやりました。次に、これから始まる新しい命にも立ち会います。砂に膝をついて、手で産卵巣を掘る。堀った巣に卵をそっと並べ、また砂をかけて覆う。生まれた浜に戻ってきた母ガメがするのと、同じ手順です。この卵は、ふ化場に埋め直してから2週間〜1か月かほどでふ化し、いつか帰ってくることを願って海へ放される。清水さんはそう話してくれました。始まったばかりの命に、自分もわずかに関わった。それは、小笠原とのあいだに生まれた新しいつながりでした。

小笠原海洋センターでのウミガメの産卵体験。この卵は2週間〜1か月ほどでふ化し、生まれた子ガメは海へ放される。

センターの仕事は、波打ち際で終わりません。夜、砂から出てきたばかりの稚ガメは海を目指します。ところが、海岸近くに街灯や建物などの人工的な光があると、その光に誘われ、海ではなく街の方へ進んでしまうことがあります。父島の大村海岸でも確認されている「光害」です。そんなとき、島の人たちは何をすればいいかを知っています。海洋センターに電話をするのです。

このウミガメのように、人工の明かりを月光と見誤ってしまうことがある。 島では、このようなウミガメを見かけたら、小笠原海洋センターへ連絡するのが決まりとなっている。

それを実際に目にする機会がありました。ある夜、ナイトツアーの途中で、一頭のアオウミガメが浜を離れ、集落のほうへ進んでいるのを見つけました。まだ産卵前の個体で、どうやら海とは反対の方向へ迷い込んでしまったようです。ガイドはすぐに状況を察しました。こうした状況に慣れているガイドの指示に従って、私たちも明かりを遮り、根気よく浜のほうへ誘導するのを手伝いました。アオウミガメは、熱をもったアスファルトの上で、一歩進むたびに力を使い果たしていくように見えました。何度も動きを止め、夜のなかで、その呼吸だけが思いのほか大きく響きます。しばらくすると、また自分の体を前へ押し出していく。産卵期のあいだ、ウミガメを守るのは海洋センターだけの仕事ではありません。それは、この島の日々の暮らしの一部になっています。

日が落ちてからの保全、オガサワラオオコウモリ

日が落ちると、小笠原は姿を変えます。森は静まり、夜の生きものが動きはじめ、それに合わせて守るべきことも変わります。訪れる人はもう、ただ島を見てまわっているのではありません。誰かの住まいに足を踏み入れているのです。

森に入る前、ガイドの島田克己さんから、一つだけお願いがありました。明るいヘッドランプを外し、小さな赤いライトに持ち替えながら、島田さんが言います。

「今夜は、こっちを使いましょう」

白い強い光は、小笠原の夜行性の生きものたちを驚かせ、本来の行動を変えてしまう。赤い光なら、足元を確かめながら歩けるうえに、観察する野生生物への影響を最小限に抑えられる。そういう理由でした。

目が暗さに慣れてくると、まわりの森が少しずつ見えてきます。木立の向こうから海鳥の声が届き、下草のなかで虫が動く音がする。そして、頭上のずっと高いところで、オガサワラオオコウモリが果実を食べ、やがて葉の茂りのなかへ消えていきました。

ガイドツアーの赤いライトに照らされた、オガサワラオオコウモリ。

地球上でここにしかいないオガサワラオオコウモリは、小笠原諸島で唯一の固有種の陸生哺乳類であり、この森を支える庭師でもあります。花の蜜や花そのもの、果実を食べながら、植物を受粉させ、島じゅうに種子を運ぶ。何百万年も孤立したまま育ってきた森は、その働きによって世代を更新しています。だからオオコウモリを守ることは、それに支えられた生態系ごと守ることでもあります。

その保全は、この一種を見守るだけにとどまりません。生息地を保ち、失われた環境を取り戻す。人による干渉を減らす。自然を守ることと島の暮らしの両立を探る。島の人にも訪れる人にも伝えていく。ウミガメの取り組みと同じで、めざしているのは人と自然を切り離すことではなく、両方が並んで続いていくやり方です。

海の上の保全、イルカとクジラ

同じ考え方が、海の上にもそのまま続いています。小笠原周辺の海では、これまでに20種を超える鯨類が確認されており、日本でも指折りの海洋生物の観察地になっています。ハシナガイルカとミナミハンドウイルカは通年この海に暮らし、冬にはザトウクジラが繁殖と子育てのために訪れます。夏季には、マッコウクジラを観察するツアーも行われています。

小笠原の海でもっともよく出会える海洋哺乳類がイルカだ。 影響を抑えるため、近づけるのは厳格なルールに従うガイドツアーのみ。

この出会いを持続可能なものにするため、島の事業者は40年近く取り組みを重ねてきました。日本で初めてのホエールウォッチングが小笠原で行われたのは1988年。1990年代の初めにはイルカのツアーも始まり、海の生きものに関する日本でもっとも早いエコツーリズムの指針づくりにつながっていきます。

その指針は、細部まで具体的に定められています。一日のドルフィンスイムツアーで、ガイドが説明してくれました。クジラに近づくときは減速すること。100m以内には入らないこと。進路を横切らないこと。イルカとの出会いにも、その時の個体の様子や周囲の船に配慮しながら楽しむためのルールがあります。一つの群れに近づける船は同時に4隻まで。水に入る回数は、1隻につき5回まで。

小笠原の海のツアーを手がける竹ネイチャーアカデミーのガイドたち。 ドルフィンスイムは、生きものへの責任ある接し方を守るため、ガイドツアーとしてのみ催行される。

どれも単純なルールですが、小笠原の考え方がそのまま表れています。生きものに人へ合わせてもらうのではなく、人が生きものに合わせる。だから、待つことになる日もあります。どの出会いも最後まで相手の側の都合で決まります。

見えにくい世界、母島という進化の実験場

「島の成り立ちには二種類あるんです」

母島の森に入りながら、ガイドの宮川五葉さんが話してくれました。「大陸島は、かつて大陸とつながっていた島。海洋島は、一度もつながったことがない島です」

この区別を知るだけで、小笠原のことがかなり見えてきます。本土の動植物が、数えきれない競争相手や捕食者とともに進化してきたのに対して、小笠原の生きものは、一つずつ、ありえないような旅を経てここへたどり着くしかありませんでした。宮川さんはそれを「3つのW」と呼びます。波(Wave)、風(Wind)、翼(Wing)。今この島にいる動植物はすべて、そうしてたどり着いた誰かの子孫です。

母島の東京都自然ガイド、宮川五葉さんが石門ルートを案内する。 脆い生態系を守るため、立ち入りはガイドツアーに限られている。

「24時間も船に乗って、大変でしたよね。流木一本で来いと言われたら、どうしますか」
そう笑いながら、宮川さんは話しました。

この遠い島々までたどり着けた種はごく少なく、たどり着いたものは、競争相手も捕食者もほとんどいない世界を見つけることになりました。何百万年のあいだに、進化は別の道を進みます。身を守る必要がなくなったのです。植物は少しずつ毒を手放し、昆虫は身を守るための棘を捨て、本来なら争って生きるはずの種が、まったく新しい居場所に収まっていきました。

その話がいちばんきれいにあてはまるのが、母島の小さなカタツムリです。小笠原諸島では100種を超える陸産貝類が生まれ、その9割以上が地球上でここにしかいません。その祖先たちは、はるか昔、偶然この島々へたどり着いたのだと宮川さんは言います。そして、木の上、落ち葉の下、地面のなかと、それぞれの環境に適応しながら、多様な種へと分かれていきました。隣り合う谷ごとに別の種ができあがったほどです。宮川さんはこの島を「進化の実験場」と呼びました。多くの登山者が見過ごしてしまうこの小さな貝が、小笠原が世界遺産に登録された大きな理由になっています。

母島のガイドツアーで見つけた陸産貝類。天敵の少ない島で、殻が部分的にしか発達しない姿へと進化した。

この進化の物語を守る作業は、カタツムリを一匹見つけるずっと前から始まっています。森に入る前、靴に酢を吹きかけました。歩いている途中も、何度か同じことをくり返します。外来の生きものが、人にくっついて生態系のあいだを移動してしまうのを防ぐためです。とくに警戒されているのが、すぐ隣の父島で在来のカタツムリを壊滅させたニューギニアヤリガタリクウズムシ。母島にはまだ入り込んでいません。泥のかたまりに紛れた小さな断片一つでも、何百万年をここで生き延びてきた種を脅かしかねないのです。

母島の森に入る前、靴の泥を落とし、酢を吹きかける。外来種を別の場所へ持ち込まないためだ。

この島では当たり前になっている作業は、1分もかかりません。歩き終えるころには、それはもう用心のための手順ではなく、この森に入らせてもらう資格を得るための手順のように思えました。

たどり着くのが難しい場所ほど、深く残る

帰る日、港には少しずつ人が集まってきました。

島の人、ガイド、商店の主人、宿のスタッフ。この一週間で顔を合わせた人たちも、そうでない人たちもいます。おがさわら丸が岸を離れても、誰の顔かわからなくなってからも、手はずっと振られ続けていました。小さな船が何隻も並んで追いかけてきて、やがて一隻、また一隻と島へ引き返していきます。

おがさわら丸の見送りは、小笠原にもっとも古くから続く習わしの一つ。 港に人が並び、船が行けるところまで並走する。

「いってらっしゃい」と声をかけて送り出す。小笠原では、今も大切に受け継がれている見送りの習慣です。この島にいるあいだ、同じ静かな構えを、どこへ行っても見てきました。40年経っても戻ってこないかもしれないカメを計測する研究者。森に入る前にライトを赤に替えるガイド。爪ほどの大きさの生きものを守るために靴を洗う旅行者。イルカが人とつきあう気があるかどうか、決めるのを待っている船長。

あの見送りも、同じことの別のかたちでした。誰かに頼まれたわけでも、約束したわけでもないのに、その場に出ていく。遠い島の暮らしは、いつも関係のうえに成り立ってきました。自然との関係、隣の人との関係、そして一日を費やして太平洋を渡ってくる人との関係。小笠原では、それを当たり前のものとして扱いません。この島のほかのすべてと同じで、関係を築くには時間がかかる。そして島の人たちは、その時間をきちんとかけています。

島が水平線の向こうへ消えるころ、船内のあの一行をまた思い出しました。

カンタンに手に入る感動は、ちょっと物足りない。

たしかに、24時間の船旅のことを言っている。けれど島で見てきたものは、どれも同じ理屈でできていました。小笠原のような場所が残っているのは、遠いからではありません。人が日々、守り続けることを選んでいるからです。

文=本郷アリー
写真=ライアン・ベドナー

※この記事は2026年10月制作のものです。

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